旅行編、ショート編。旅行編は、エロチィック・エッセイ。ショート編は、日常些事のショート・エッセイ。創作編は、短編小説。マイ・ギャラリーは、各編の自作挿絵の収録。

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心何処ーショート 初恋は、ときめく胸の鼓動
          新年、明けまして、おめでとう御座います。
 旧年中は、誠に有難う御座いました。今年も、思い付く儘、感じた儘、浮かんだ儘を、身の丈で打ち続けて行く心算であります。今年が皆様に、心安らかな年に為らん事を、お祈り申し上げます。

 さて、『笑いの門に福来る』の言い伝えも有りまする。新年の座興に、我が忘却進む『初恋物語』にご案内致しましょう。大いにお笑い下されば、筆者も嬉しゅ御座います。

    何分、長い物語に付き、心してお付き合いの程を・・・・
           覚悟は、好うござんすか。はい。それでは、開演致しまする。


                  初恋は、ときめく胸の鼓動
<小学生の巻>
 私は、小学校の4年生であった。私が3組で、K子が1組であった。彼女は、私のクラスのT子の友達である。彼女達は家が近所の、幼稚園からの幼友達なのであろう。彼女達の家は村の中心街、つまり温泉街の上の方にあった。M市に隣接する農村であるが、その温泉は、県でも有数の温泉街であった。昭和30年代前半の頃である。温泉街は開けていたので、田舎にしては皆垢抜けしていた。
 大柄なT子はキリッとした顔で性格もキツかったので、グループの顔であった。そのグループの一員にK子が居たのである。K子は、小柄な小麦色の肌をした可愛い女の子であった。T子とはクラスが同じであるから、そのグループとすれ違う折は、何と無くT子と視線が合ってしまうのは、自然の成り行きなのであった。私達の年代は、戦後生まれのベビーブームの頂点を形成する。戦後民主主義3回生なのであるが、「男女7歳にして席を同じゅせず」の遺影が色濃く残っていた時代でもある。男女が視線を絡み合わせるを、羞恥とした常識があったのである。私は男5人兄弟の4番目であり、加えて母子家庭であったから、『硬派・益荒男の鋳型』を課せられていた節があった。何分、私は幼少であったから、比較対照をするサンプルも無く、その鋳型の正当性を高校2年迄信じて疑わなかったのである。

 T子のグループは、私を繁々と見るのである。彼女達の視線は、硬派の男子にとっては、大和撫子(やまとなでしこ)にあるまじき不躾な視線なのであった。私の肌の色は、見事な程の褐色を呈していた。ナイーブな私は、それがコンプレックスであった。然し、男たるもの些事(さじ)に拘泥せず、潔く、強きをくじき弱きを助ける・・・男たるもの『目立たず、硬派の道を歩むべし』の鋳型に嵌められた生活を強いられていたから、そのコンプレックスが些か捩(よじ)れて、表現的には相手に対して、『無礼者』となるのであった。或る時、ツベクリンのBCG注射があった。要注射生徒は、極少数である。学年横断的に保健室に集まり、何列かに分けられ、次々と注射が敢行されて行くのである。私の前に居たのが、K子であった。両の髪を色ゴムで留め、前髪を額に垂らした黒い瞳が、恨めしそうに細い二の腕に注がれていた。これが、彼女を間近に感じた最初の時であった。彼女の腕に年寄りの校医の手が伸びて、太い注射器がか細い腕に当てがわれる。ハニカミ屋の頬が紅潮して、救いを求める様な黒い潤んだ瞳が絡んで来る。云うに云われぬ胸のときめきが、全身を走った。

 K子の居る1組は、女子転校生の多いクラスであった。私のクラスに転校して来るのは、専ら男子だけであった。私は身体が大きい方であったから、体格の釣り合いから云って好き?憧れる?のは、大柄な女の子であった。当時、1組にはM子と云う東京からの転校生が居て、クラスを超えて男子生徒の目を惹いていた。私は足が速かったので、運動会のリレーの選手をしていた。M子も1組のリレーの選手をしていた。秋になると放課後、運動会の練習が盛んになるから、彼女とは良く一緒になった。襷(たすき)を掛け、鉢巻を額にキリリと絞りスカート姿に裸足で、疾走する様は絵になった。また彼女とは、生徒会の委員会でも度々一緒になった。スポーツに勉強、彼女も出来る女と認識していたが、私は他の男子生徒が憧れるほどには至らなかった。

 5年生の時に、1組にA子と云う転校生が入って来た。校庭の横に低学年用の2階建ての校舎があり、1段上がった場所に体育館と高学年用の2階建ての校舎があった。校舎の2棟は階段の渡り廊下で結ばれ、体育館へはコンクリートの露天の通路が2本あった。1本は渡り廊下から、もう1本は高学年用の校舎から伸びていた。高学年用の通路は、北に位置して陰気臭かった。それで私は、日の当る中央の通路を専ら利用していた。

 渡り廊下から伸びる通路の脇に、プラタナスの植わった足洗い場があった。体育の時間を終えて、私は仲の好い旅館の息子のYと足を洗っていた。昭和の30年代は、下駄と裸足の時代であった。体育の時間は、当然男女全員が裸足であった。校庭での体育の授業が終わると、足洗いが義務付けられていた。横から白い女の足がニューと割り込んで来た。私は6年生にも勝つ腕力を持っていた。すかさず顔を上げると、見知らぬ女の子である。周囲の顔触れからすると、1組の女の子である。
 「おい、Y、知ってるか?」
 「知らんな、転校生か?」
 M子と肩を並べて遠ざかるA子の後姿を横目で追いながら、私は何時に無く、胸の鼓動を感じていた。大柄な色の白い垢抜けた上品で、穏やかな顔立ち利発的な落ち着いた瞳をした女の子であった。私の注意は、それから、全てが彼女に向くのであった。

 通学は、K子と一緒である。家は旅館街のあるU・A地区であろう。従って、その通学グループには、T子・K子・A子と、何の因果か知らぬが3人が一緒なのである。私は、群れる事は好きでは無かったから、意外と1人でいる事が多かった。美形と云う異性は、神代の時代から男に対して、妙な自信を備えている様である。異性に対する度胸は、男より女の方が数段上手である。正に、多勢に無勢である。すれ違えば、3人の視線を感じて気の弱い私は、どう転べば好いのか反応の仕様が無いのであった。勢い私は、学生帽を目深に被り、自分の視線の先を彼女達から隠すより方法は無かったのである。然し、私も人の子である。遠くでA子を両の目にしっかり焼き付け、近くに成れば素知らぬ顔で一点を見据えて、益荒男の闊歩を演出して歩くだけの小心者なのであった。然し、この刹那の胸のときめき、心臓の鼓動が、恋心なのである。この胸のときめきを大人の回春的表現方法を採れば、次の通りとなるのだろうか?
 それは、自信に溢れた快感と云う積極的なものとは、程遠く・・・・・外面・内面の総体的では、とても恥ずかしい気分なのである。その時の自分の姿を外形的に見ることは出来ないのであるから、自分で自分を直視できるのは、自分の胸の内だけである。胸の中心に点いた1組のA子と云う想像への憧れ・恋情が、視線が合致した喜びの火で、電流の伝わりの如く身体の内部を熱く駆け回り、距離を離れても、その残滓と余韻が尾を引き続けるのである。それは、胸に充満する密やかなる有頂天の瞬間・・・・とも表現出来る性質のものであった。

 暫くして、恒例の運動会の練習が始まった。男子生徒は騎馬戦。Y・N・Wの上に乗る私達の騎馬は、さながら、大型戦車の破壊力があった。普段は大人しいが、いざとなると血の気の多い私とYが組んでいるのである。他のクラスの生意気集団を、合法的に叩きのめす男の華舞台である。T子達クラスの大歓声を受けずとも、男の血は騒ぐのである。女子生徒は盆踊りである。学年の合同練習時、私はYと黙って女達の踊る姿を眺めていた。Yも私も似たもの同士であった。お互い気持ちが分かり合っていたので、余り多くを語らず、相手の感情を刺激する性格でもなかった。2人とも背丈も同様であり、色の白黒の違いはあったものの釣り合いの取れた2人であった。腕っ節は強かったものの、絶対に弱いもの虐めはしなかった。私がYに引けを取るものは、水泳であった。街場の彼は温泉プールで泳ぎを覚え、私は夏場には干上がってしまう川原の川プールで、泳ぎを覚えたのである。Yの平泳ぎは私の手本であった。小学校1年からの仲であった。私は、Yの横で素直に女達の踊り、とりわけA子の踊る姿に胸をときめかせることが出来た。彼も誰かは知らぬが、同様な胸のときめきの視線を送っていたのであろう。学校とはそう云う処なのである。勉強は授業中に覚えれば良いのであり、良い成績を取りたければ、テスト前に真面目に覚えれば、良いだけの事である。勉強が嫌いならば、授業で要点だけ集中して、それ以外は目で自由に散歩をしたり、好きな女の子の事を夢想していれば好いのである。集団・社会とは、性格・癖・力・腕力の寄り合い所帯なのである。嫌なこともあれば、良いこともある。嫌なことがあった時に、傍にいて無言で気遣ってくれる友がいれば、それで好いのである。

 美形は心の良薬である。毎日がA子と目を合わせる事で、胸のときめきを感じていた。6年生の時に、委員会で彼女と2度同じであった。男の委員は、1組を代表するOであった。Oは、体格のしっかりした『片岡知恵蔵』張りの貫禄を持った男であり、タイプとしては8歳年上の長兄に通じる処があった。A子は、M子より成績・人望があるのだろう。1組が委員会の議長を順番で担当していた。男女の役割分担でOが進行を務め、A子が書記役であった。2人は、そつの無い好いコンビであった。私のクラスは、男子生徒の引き受け組みであり、Oのクラスは女子生徒の引き受け組みであった。クラスには、個性が確かにあった。1組は個性的な面々がいたが、男女仲の好い雰囲気があった。2組は小粒揃いの何か纏まりの無い騒々しいクラスであった。3組は派手な個性派は居らず、バンカラ風で男女の別が際立っていた。腕力的には5年生の時から、学校1であった。この様なクラスの持ち味が厳としてあったのであるから、学校としては転校生のクラス割りには、一つの方程式を当て嵌めていた節があった。私の組に入って来た転校生は、苛められることも、問題を起こすものも居なかった。学校の、この方針に理由ありの納得性を理解できても、反面、私はOのクラスが羨ましかった。

<中学生の巻>
 長い小学校生活も終えて、愈々大人の入り口、中学である。クラス割り発表の日、私はA子と同じクラスに成ることを祈って、中学の掲示板を見に行った。私のクラスにはA子の名前は無かった。6クラスある組の名簿を何度も見直したが、A子・M子の名前は無かった。クラスは6分割されて、仲の良かった友達は離れ離れに成ってしまっていた。一抹の寂しさと、半分大人へと向かう緊張感があった。気の早い親達は、高校進学の優位性を求めて、試験のあるS大付属中学に進学させる親達が多かった。硬派・自然派の私には、彼等の優等生振りは嫌いであった。市の進学高校3校の進学率は、確かに群を抜いていたが、根底にあるそのエゲツナサが、私には気に入らなかったのである。M盆地の小学校から、成績上位者を試験で入学させて英才教育・ガリ勉を強いれば、進学率を誇れるのは当然の結果である。大人の持つ青田買い・抜け駆けのアンフェア振りとそれを真に受け感化・行動する了見が、私とは、遠く異質のものに感じられた。彼女達も揃って、付属中学に進学したのである。ショックは、計り知れなく大きかった。私のクラスにも、何人かの進学組が居た。私は少なからず、彼らを軽蔑していた。たかが高校くらいで、中学から何故ガリ勉をしなければならないのか?所詮、ありもしない頭に詰め込んだ処で、人間の能力には、限りがある。教師達が異口同音に吹聴する『努力万能主義』の欺瞞性を、私はクラスの観察から嗅ぎ出していた。頭の出来・不出来は、努力だけでは埋まらないものである。倣う(習う)・詰め込んだだけの結果からは、機転・想像・応用の幅は限られて来るものである。先頭を走る者には、それらと共に人望と云う他者を惹きつける人間臭さが必要なのである。後者の要素は、抜け駆け的エリート意識とは無縁のものであろう。
 集団・組織での成果は、総員得点である。その核となる集団・組織へのリーダー・シップの発現は、働きかけである。その中心を成すものは、行動の動機付け・やる気の涵養(モチベーション・モラール・サーベイ)と加重平均された公正な評価基準なのである。紙の管理は客観的であるが、それを前面に押し出せば、即物的・怜悧となる。紙の項目管理は、主観的傾向を性とする人間の反省の産物である。そして、それは飽くまで手段の域に留め置くべきものである。人間集団の管理は、人間を介して行われ、リーダーの最も重要な仕事である。物理的・技術的問題を解決するには、知識的テクニックが功を奏しよう。感情の絡んだ難題を解決するには、リーダーの人間性が最終的な説得力を発揮するのである。そして、人間は観察する動物である。そのリーダー・シップの客観性と説得性は、他者の観察と云う信頼性から生まれるのが一般的である。そして、その信頼性は、同じ土俵・同じ釜の飯を食うと云った平等意識の中から生まれる。頼られる快感と彼らのために何かをしなければならないと云う義務意識と、その実現への努力から生まれるべきものなのであろう。
 学問・知識・技術は、人間の歴史からの贈り物である。それらを構築するに至った名も無き試練と失敗の蓄積の心と必然性を理解せず、知識・技術のつまみ食いの効率だけに奔走するのは、利己・勝手主義の蔓延を加速させる。ふと立ち止まって、自分の心の中を覗いた時、人は無味乾燥な心の砂漠に呆然とするのが落ちであろう。
 私流の観点から言えば、『授かった素地』を磨く事に、人生の目的があるのである。偽者の努力は、見苦しいものである。勿論、語彙の圧倒的に少ない新中学生の言葉による表現とは、雲泥の差があるが、その時の自分の心境を表す文章を選べと出題されれば、私は何の躊躇(ためら)いも無く、血と嗅覚でこの行に○を付けたことであろう。

 中学は、M市の北辺に位置するO地区と、私達が住むH村との市村共立である。村は南北に長く、私の家はやや南部に位置し、夏には完全に干上がってしまうM川の東にあった。川を渡れば、M市のA中学が2.3分の所にあった。通うべき中学は、O地区とH村が境を接する所にあった。我が家からは、3.5KM程の通学距離であった。H村からは、M川に架かる橋(南からS・A・M・H橋)を渡る。村の東西を結ぶM橋から伸びる道は、M集落でそれぞれ合流して、その儘市と村の境の一本松を目指す。一本松から中学までは、まるっきり人家の無い畑の中の一本道が続いているのである。道の両側は、ドツボと呼ばれる畑の肥料用に、溜め置かれた人糞の桶が並んでいるのであった。別名「黄金街道」と呼ばれていた。
 私は兄弟が多かったから、兄達から、自分が通うであろう中学・高校の話を十分聞かされていた。
ドツボ街道の遊び方、ブドウ畑の味の良し悪し・その畑の入り方、柿木の良し悪し・・・etc 耳学で知った項目を頭の中で反芻し、その現物に対面して頷く・・・、それが当面の私の通学観察であった。中学のある一帯は、少々せり上がった地形である為に、水田に成れなかった一帯である。その関係で農家にとっては、従たる一帯としての位置付けがなされ、人家が延びなかったのであろう。石ころの多い通学路が、ブドウ畑・桑畑・麦畑の中に中学校めがけて、最短距離で伸びているだけである。中学は、正門の芝生に白樺の若木をスラリと数本伸ばし、正面2階の外壁に鳥の羽を2枚交差させ、交差部に『中』の字をあしらったスマートな校章が、デンと架けられている白と灰色のペンキを塗った校舎であった。

<恋心始動>
 T子・K子・Oと同じクラスであった。私はK子の顔は十分知っていたが、名前は知らなかった。名前漢字が、私には難しくて読めなかったのである。それで最初の日、その名前を聞き逃すまいとして、名簿順に呼ばれる彼女に神経を集中させていた。Oとは小学時代、お互いに一目を置く存在であった。成る程、中々のヤツであり安心出来る大物であった。集団の中では、小学時代からのお互いの『顔』が付いて廻るものらしく、私とOは一定の距離を置いた儘の付き合いが3年間続いた。私がOと、その距離を取り外し、友としての付き合いが出来る様になったのは、高校・大学時代に成ってからであった。そのOは、社会人2年目の5月の連休、東北ドライブ中の事故で、急逝してしまった。私は、惜しい生涯の友と成るべき男を亡くしてしまった。

 小柄でキュートなK子の席は、前の方である。彼女の声は、些か掠れた声であった。相当なハニカミ屋さんである。勉強は不得意らしい。然し、情感匂う絶対的に可愛い女の子である。

「ハハァ、ハクション、ハックション!!」 と、私の馬鹿でかいクシャミの音が、余所余所しい新クラスの教室に響く。T子が口に指を当てて、まるで自分が粗相(そそう)をしたかの様に私を見やって、新メンバーの顔色を伺い、異分子をそのキツイ目で制していた。彼女は、早くもアネゴ肌の貫禄を新メンバーの面々に植え付けている。春先と秋になると、私は如何した訳か、決まってクシャミと鼻水がタラタラと出て、目が痒くなるのであった。クシャミと鼻水の洪水は、風邪の症状である。然し、奇妙なことに身体の悪寒も無ければ、熱も出ない。咳も出ないし、風邪による鼻水が快方に向かう時になる粘着性のある鼻汁にもならないのである。花粉症なる高級名称など無かった時代である。クシャミの連発に、私は教師にジロリと睨まれるのであるが、私も好き好んでこの派手なクシャミを連発している訳では無い。事実、日の浅い連中の私への顰蹙(ひんしゅく)の冷たい視線が、寄せられているでは無いか!
 不可抗力のクシャミの連発に対する周囲の冷視に対して、私にも自衛本能がフツフツと湧き上がる。「故意に遣っている訳では無い。文句があるなら表に出ろ!」 と、私は冷たい視線に無言の圧力をかける。ついでに、「俺は、タラタラと流れ落ちる鼻水を鼻の穴に、ちり紙を押し込んで我慢しているんだ。キサマ、大人の癖に、そんな事も判らんのか!」 と、偉そうな面構えをした教師の目をジッと見据えてやった。小学校時代の者には、私の派手なクシャミの連発は何時もの事なのである。
・・・・Rは、大きく高く立派な鼻の持ち主であるから、クシャミも人一倍大きくて当たり前。善悪を弁(わきま)えた生一本な性格だから、下手な事を言おうものなら、1・2発のパンチでノサレてしまうだけである。放って置いても害の無い男であるから、アイツには自由にさせて置くのが一番である。・・・・・・
       <有難い事に、私を知る周囲には、そんな暗黙の了解があった。>

 日を追うごとに、中学生活も慣れて来た。昼食の終わった昼休み。私は1列置いたOと話を交わしている。その中間のT子の席に手を置いて、K子がT子と談笑している。洒落た黄土色のチェックのズボンを履いている。彼女の形の良いキュートな臀部が、ユラリユラリと私に向かって動いている。無防備と云うか、挑発的な臀部の動きが、私にはとても眩しく映っていた。視線を感じるのか、反応を確かめるのか? K子は、時々私の方を振り返るのである。私は目の遣り場が無く、困っていた。・・・・・そんな私の内心の動揺をOは、さもありなむの眼差しで、時折、私の目を覗き込む様な大人の視線を送り、ニヤリと「知恵蔵」風の笑みを送るのである。Oは、実に困ったヤツである。こんな事で、私は彼に、ヤスヤスとシッポを握られたくは無かった。私はOのタイプが、長兄に良く似ているので、こんな時は多いに分が悪いのである。それは、私の勝手な思い込みなのであるが、如何した訳か、Oに長兄のイメージが投影してしまうのであったからである。中学生の私が、大学生の長兄に逆立ちしても、到底敵う筈が無いし、母子家庭にあって、彼は他の家庭の父親・学校の教師と比較しても遜色の無い『家長』であったからである。長兄の据わった目で凝視されると、胸の奥まで見透かされた様で、私は嘘が言えないのであり、長兄の前では、私の存在などは実に小さく霞んで見えてしまうのであった。人は、この様な関係を俗に『苦手意識』と呼ぶそうである。

 Oは、私の話に悠然と構え相槌を打っているが、その目はK子と私の双方に向けられていた。彼の家は旅館の密集する裏手にあった。彼の遊び相手は、私同様、近所の年長者が主体であった。それも、増せた旅館の子息達であるから、始末に終えないのである。彼の大人びた風格の裏には、男女間の際どい見聞体験が根底にある・・・・・と私は、彼への観察から、そう感じ取っていた。Oの表情には、東映時代劇重鎮スターの腹芸・眼技の趣さえあった。彼は、その時代劇の雰囲気さながらに、ギョロリとした大きな目でフムフムと一人合点をする目付きを繰り返すのである。K子とOは、温泉街の外れにある保育園からの顔馴染みである。特別な感情を抱かない限り、人間は冷静で居られるし、面白い観察も出来るものである。片や、私はK子について、『ほの字』学習の身であった。この問題に関しては、私の方がスタートの時点から大きなハンデキャップを負っているのであるから、勝ち目は無いに等しいのである。
 ・・・・・バカタレが!!Oよ、お前がM子にぞっこんだったのは、承知の上だ。その内、俺もお前の相手を嗅ぎ出して遣るから、待ってろよ!!・・・・・・ 
見るもの・聞くもの・感じるもの、全てが『新鮮なときめきの最中』なのである。OもK子も彼等にとっては、極々幼少の頃からの『知り及んでいる』単なる仕草、癖の一部でしか無い『尻振り行為』なのかも知れない。
 然し、私の個人的事情からすると、事は真に重大な『震え反応』なのである。何しろ私の心は、恋情に揺れる日々の真っ盛りなのであるから・・・・・・・・内なる恋情の胸の内を、必死で隠蔽(いんぺい)するのに躍起と成っている『シャイな少年』なのである・・・・・・・・・・・
 K子の余りの大胆不敵な『尻振り行為』と意味あり気な2人の視線に、私は何か2人が示し合わせて『私の初心(うぶ)さ加減』をからかわれているのでは無いか? と勘繰りたくなってきてしまう気にも成って来るのであった。2人は、男女仲の良かった1組の出身である。一方、私は、男女別を押し通した3組の出身であった。

  ・・・・・そこに、Tがニヤニヤしながら遣って来たのである。・・・・・

 Tは、オッチョコチョイの典型である。これでシャキとしていれば、『森の石松』の様な憎めない男のキャラクターで通るのであるが、世の選考はそれ程甘くは無かった様である。彼もまたK子のキュートさに、ぞっこんの1人である。彼は、草原のはぐれハイエナの様に、目ざとく嗅覚を働かせて近づいて来たのである。彼の魂胆は、間違いなく『観賞』に来たのである。Tは、ヒップラインのはっきりしたK子のヒップの動きに、忽(たちま)ちにして、気も漫ろ状態と成ってしまったらしい。

『おいおい、R、Oと何話てんだぁ~』

 小声で、赤味の差した両の頬を高潮させて、自分の増長する性への好奇心を隠そうとして、盛んに照れ隠しをしている。
 話の腰を折られて、私もOもムカついたが、彼はO小学校の出身であるし小物の類である。事を荒立てても仕方が無い存在である。まぁ、好きにさせて相手にしなければ、その内去るだろうと黙視する事にしていたのである。

・・・・・・・・・・彼のオチョコチョイのタワケ振りが、とうとう形を現わしてしまった。・・・・・・

 Tは、胸のポケットから鉛筆を取り出して、K子の形の良いヒップの割れ目を突く仕草を始めてしまったのである。初めは、恐る恐るスローモーにしていたのであるが、周囲の密やかなる同調を集めて、K子の左右に揺れるキュートなヒップの動きに合わせて、パントマイムを敢行し始めたのであった。気配に気付いて、K子がキッとした目付きで後ろを振り返る。

『おわァッ』と、Tは、おどけたゼスチャーで急場を凌ぐ。
『この、バカタレが』と、思わずTの頭に、私の手が飛ぶ。

  背後の何やらおかし気な気配に、静止していたヒップが再び、ユラリユラリと動き始める。ヒップに釘付けになるTの眼に、私もOも必死で笑いを堪えている。声を漏らしそうな私をOの片岡知恵蔵の目が大きな瞳で制している。私は、爆発しそうな笑いを息を止めて堪えているのである。笑いを胸に封じ込めて、一息付いたのであるからして、それはまるで水中で息が切れて大慌てで水中から顔を出して、パクパクと酸素を吸入している様な体力の消耗である。然し、これが『共犯者の連帯』なのであろうか・・・・ハタマタ、単にバカに付ける薬は無いの喩(たと)えだろうか・・・
 Tは、すっかり私とOの仲間入りが叶ったと錯覚してしまったのだろうか?再び、彼は2人にニヤリと合図を送ると、パントマイムを再開してしまったのである。Oは長男坊、私は4男坊である。悪戯にかけては、私の方が群を抜いている。Oに目配せをして、私の意図が伝わったのを確認して、Tの鉛筆を持った手をタイミングを見計って、ポンと押して遣ったのである。Tの鉛筆の先は、K子のキュートなヒップの割れ目にズブリと吸い込まれた。

『キァ~!!??』

 振り向いたK子の目の前に、鉛筆を握り締めたTが、半ばボーゼンとして立ち尽くしている。

『何するの!!変態スケベ!! バカァ~  バシッ、バシッ』

                    哀れ、Tの青ざめた頬に、平手打ちが2発炸裂したのであった。

 私とOは、私がTの手をポンと押したと同時に席を立って、廊下に出てしまったのである。足早に歩いて、階段の陰で2人とも、涙をポロポロ零して身を捩って笑い転げていたのであった。
 笑い終わって、
「おぃ、O、作戦成功だけど、こりぁ、拙(まず)い。問題になるぜ。Oは、離れていたからシラを切れば、分からんだろうが、俺は完全にH.Rで往復ビンタ確定だぞ。チクショウ、しょうがねぇ~から、今の内に笑っとくか。」   

 その日のH.Rが遂に遣ってきた。覚悟は出来ていた。願うらくは、度を越した悪ふざけとして、私への往復ビンタで一件落着が希望であった。優等生然としたOへの皆の期待を失墜させる結果は、クラスの求心力の点から、如何しても避ける必要があった。然し、私がT同様な性的変態の汚名を受ける事だけは、何としても勘弁蒙りたかった。その反面、実際に手を下したのは私である事実は、厳としてある。Tの行き過ぎた行為の嫌悪感から、Tの鉛筆を道具に私はK子の、彼女が出来なければ、その背後のT子の手を借りて、Tに『鉄槌』を見舞う事を仕掛けたのであった。K子の見舞った平手打ち2連発は、Tにとっては自業自得の結果にしか過ぎない。私の悪ふざけの中身は以上のものを、イタヅラに包んで実行したまでの事である。然し、こんな心の内を、公然と皆の前で表現して良いものか?公表すれば、Tの欠陥が確定してしまう。胸中の揺れる良心の葛藤、頭の大義名分・落とし所の喘ぎに、H.Rは、顔色を覗って、・・・・・長く・・・・・・澱んでいた。

 誰の発案かは知らぬが、『2組の男女の仲を良くする会』なるものが、誕生した。その一環として、クラスは男女5~6名づつの班割りとなり、アミダで男女の班の相手が決まる。この合成班が、男女平等に話し合いをして、仲良く共同して清掃・席替え・遠足等の割り振りを決めて行くとの事であった。班替えは、学期毎に行うとの事である。
・・・・・・・・・・・・・・男女別種路線の急先鋒が、どうも、私らしい・・・・・
 人間、先入観程、厄介なものは無い。私は女が嫌いだとは、一度たりとも思ったことは無いのである。唯、何分にも男兄弟だけの家庭環境で育っているので、恥ずかしくて話が出来ないまでの事である。美しいもの、綺麗なもの、可愛いものが嫌いだなんて、言う者は、この世には居ないと思っている。もし、そんな事を言う者がいるとしたら、そいつは余程の『捻くれ者』である筈だ。成る程、私は、色黒く、精悍な顔立ちにして、眼光鋭い。腕力も強く、言い訳・不必要な喋りを嫌う無口・ぶっきら棒の典型であり、遊びも話も専ら男だけである。そんな外観が、災いをしているのだろうが・・・・・・、私は、断じて、心の異常者では無い。単なる女子に対する経験不足から来る、気恥ずかしさの『囚われ人』にしか過ぎない。私は、古き時代の最後尾に位置する『純粋無垢の黒顔の少年の一人』なのである。『紅顔』と『黒顔』の一文字の違いだけである。ウーマン・リブの奔(はし)りか、どうかは知らぬが・・・・・とんでもないレッテルを付けられたものである。

 恋情なるものは、思慕の典型の一つである。障害・距離を置いてこそ、募る想いの丈が増すと云うものである。視線の熱きを感じて目を上げれば、そこにK子の視線がある。目と目が絡み合ったその瞬間、ときめきの稲妻が、胸の鼓動を高鳴らせる。伏せた目に、ときめきの鼓動が糸を引き続ける。
                   これが・・・隠れた恋心・・・なのである。 
 私は大抵が席の後ろの方に居たので、クラス全体を見渡せる位置に居た。クラスの男子の目は、概ね、T子・C子・K子に集中していた様である。T子・C子とは、小学3年からの同級生であった。その所為もあって、私の関心は、専らK子に向けられていた。私は呑込みは早いほうであったし、授業の要点を要約するのも得意であった。授業のスピードは精々教科書数ページ分であったから、授業中に速読して要点を教科書にメモリ、授業中に数度頭に記憶させていた。教師が黒板に教科書同様な内容を、書き連ねて授業をしていたが、私はそれが『不合理』に感じられてノートは取らなかった。(何故なら、教科書と同じ内容を、わざわざ私の下手な文字でノートに書き写すなどの行為は、全くの徒労と考えて居た。徒労を敢えてする・・・・そんな対教師・大人への諂(へつら)い感が、私の流儀に合わなかった。私はその時間を、教科書を速読して2色の色鉛筆で、肯定的なものには赤で、否定的なものには青で傍線を引いた。そして、その説明文の箇所のキーワードには丸で囲み、矢印で結んだ。教科書は幾つかの赤丸と青丸、赤と青の矢印で結ばれ、覚えなければならない分量が浮かび上がって来るのである。後は、そのマーキングされた分量を、授業中に覚えてしまえば良かったのである。記憶は思い出す訓練である。人間には癖がある。自分の癖と連動させて記憶するのが、効果的である。それを見つけるのが、私には興味があった。教科書と対し、如何覚えれば、自分の楽な記憶方法になるか考え実行していた。私の流儀の方が、余程、理に適った合理的学習法と考えていたからである。)

 従って、私には『合理化』に依る『自由な浮き時間』があった。その時間を『観察』と『夢想』に当てていたのである。

 大衆娯楽の代表格が、映画であった時代である。3人の兄達は、私を映画に必ずと言って良い程、連れて行ってくれたものである。長兄・次兄は洋画に、三兄は邦画にであった。私の記憶の中での洋画との出会いは、小学3年の時、長兄が連れて行ってくれた『戦争と平和』であった。勿論、字幕スーパー物である。漢字の速射砲であるから、チンプンカンプンである。長兄の冷やかし話に依ると、親父が存命の頃(つまり、私が6歳以下)家族で洋画を見に行った時に、白人女性のライン・ダンスのシーンに、私は見事なる『勃起』を親父の前に曝し、親父を大いに愉しませた息子であったらしい。勿論、私にそんな記憶は無い。然し、セリフの内容がチンプンカンプンであっても、脳裏に焼きついた女優の美しさには、魂を奪われ映画を観た夜は興奮して、決まって夢を見たものであった。嘗ての洋画は、美男美女が心を紡ぐ理想・憧れの世界であつた。次兄に連れて行って貰った『帰らざる河』を観て、一度でモンローのファンに成ってしまった小学生である。モンローとK子が、妙に私の中でオーバーラップしてしまうのであった。モンロー演じる女のタイプとK子は、私から見て、実に多くの共通点があった。K子が時折見せる大人びた女の顔付き・目付きの雰囲気が、実に似ているのである。私の浮き時間は、大抵こんな夢想の時間であった。

<割の合わないルーム長>
 「R、話があるから、放課後、職員室に来るように。」

 職員室は、南校舎正面玄関の東にあった。小学校とは違った厳(いか)つい表情の教師ばかりである。中学生も2年とも成ると、体格は教師を追い抜く。この位の強面(こわもて)で無ければ、中学の教師など務まらないのであろう。職員室は、教師達の吸うタバコの煙でムンムンしていた。

 「先生、何でしょうか。」
 「今日、AとBが喧嘩をしたそうだが、知っているか。」
 「はい、知っていました。」
 「お前はルーム長だ。止めたのか。」
 「いいえ、止めません。」 
 「どうして?」
 「2人に対して失礼に当りますから。喧嘩には良くも悪くも、理由があります。弱いもの虐め、好きで喧嘩を売るチンピラは、許せませんが・・・・普通の者同士の素手でする喧嘩は、好きにさせています。誰の目にも、優劣が決まって、それで2人が喧嘩を中止すれば俺は良いと思います。優劣が決まった後も、中止しないシツコイ喧嘩は見苦しいので止めさせます。」

                    担任のKは、嫌な顔をした。
 男が喧嘩をするのである。喧嘩は勝とうが負けようが、後味の悪いものに決まっている。言葉では守れないプライドもある。喧嘩によって、仲間入り出来る友情もある。荒ぶれる思春期もあるのである。私は、物知り顔の教師は虫が好かない。私は、自分の意見を述べたから、後は教師のお説教を生徒として、従順に聴くことにした。

 私は、クラスのルーム長をさせられていた。大体、それはOと交互に、その役は廻って来ていた。私は、目立つことが嫌いな性格であったから、個人的に注意される事は殆ど無かった。と言うよりも、私は先回りをして、相手の注意の矛先をかわしていた。人に注意する事も、とやかく言われるのも嫌であった。そんな関係で、私は虫の好かない人間には、敢えて近づかない事にしている。(決して、無視では無い。衝突を避けて、距離を保っていたのである。)
 虫の好く・好かないの根っこには、感性・感受性の違いが厳として横たわっていると感じていたのである。異質な感性・感受性に対して、異質であるが故に、最終的には理解し得ないものと、私は感じ取って居たのである。頭では相手を理解することは出来ても、それは飽くまでも、『冷静な状態』でと云う条件付なのである。私は、感性・感受性を優先させてしまう直情的性格である。口より先に『手が出る』傾向が顕著な男である。そして、遺伝子と云うカケアワセの妙か?私の場合、その問題解決の手法は、限り無く内向的なのである。『心』と云う感情と理性・自己と他者・主観と客観・・・・etcの続く広大無辺の心の小宇宙と、徒手空拳で独り、格闘し踠(もが)き続けてしまうのである。自問自答の苦役は、内向性を持って生まれた者の哀しい性なのであろうが、それが自分自身なのであるから、精神病院に隔離されぬ程度に、一生付き合って行かねば成らないのである。
 私の徒手空拳の自問自答から引き出した結論は、そもそも、喧嘩なるものは『起こるべくして起こる感性・感受性の対立』と結論付け、血の気に逸(はや)る私は、『腕力に依る喧嘩の正当性』を主張するタイプである。(腕力と暴力の違いについては、機会があろうからこの際、割愛させて頂く。)相手への異質感が、虫の好かない癪(しゃく)の種を増幅させるのであるから、それは相手であっても同様な過程を経て、内部で蓄積されているのである。それが何かの切っ掛けで火が付き、爆発するまでの事にしか過ぎない。喧嘩は、勝負の形を取る納得性のセレモニーで良い・・・・一種のセレモニーであるから、相手を完膚なき迄沈ませる必要は無く、勝敗の行方が決定付けされれば良いと、私は考えている。
 『喧嘩両成敗』とは良く言った言葉である。喧嘩の苦味を十分弁えた男の言葉だと感じている。喧嘩が嫌ならば、相手との距離を保てば良いだけの話である。チンピラ・愚連隊で無い限り、相手の心の敷居に土足で、断りも無く踏み込めば、逆襲を受けたり、痛い目に会うのは当然の話であろう。何故なら、物理的暴力だけが暴力では無い。世の中、れっきとした言葉の暴力なるものが存在するのである。何で暴力否定主義者が、言葉の暴力に甘いのか・・・・・私には理解に苦しむ彼等の『脳の構造』である。

 余談はさて置き、ルーム長というものは、クラスの事で代表して注意されることが多かったのである。役目とは云え、私にとっては『有難迷惑な話』であった。長々と続く独身担任の話に、内心うんざりしながら、私は早く終わる事を願って『はい。』『はい。』を連発するのであるが、逆効果であった。私は、この教師とは反りが合わなかった様である。若い学校出たての教師は、何かと指導したい気持ちが強過ぎるのでは無いかと思われる節が多い男である。・・・・・・・・・・・・・・

<無言のデート>
 教室に帰ると、クラスには誰も居ない。割り切れないぐったりする疲労が、頭の芯をぼーとさせていた。自分の落ち度で個人的に職員室に呼ばれるのならば、『仕方が無い』と諦めも着くが、そうでは無いのである。白いカーテンの閉まった教室の侘びしさに、割に合わぬ役目と一つ溜息を吐き出して見る。
溜息をついた処で、何も変わる訳は無し・・・・、俺もバカだねぇ~ 、腹減った。帰ろう。
机に掛かったズックの横鞄を肩に掛け、帽子を目深に被りしーんとした人気の無い廊下を独り歩く。

 薄暗い下駄箱の陰に、人の気配がする。グレーのジャケットに、赤い皮の手提げ鞄・・・・・、K子が、モジモジした仕草で、下を向いて立っている。

 恥ずかしさを堪えて、独り私を待っていてくれたのである。なのに、私は『アリガトウ。』の素直な一言が出ない。嬉しさの裏返しに、罰の悪さが、体全体を覆っている。誰も居ない筈なのに・・・・・、私も彼女も、お互いの顔を見ることが出来ないのである。全く不器用な男である。そそくさと下駄を履いて、通用口を出る。外は夕暮れが迫っていた。ブドウ畑から甘い香りが漂う。私には、独り心細くじっと待っていてくれたK子に、歩幅を緩めて歩くことでしか、応えて遣ることが出来ない。彼女は私の後を、黙って小さな体で付いて来る。

 畑の中の一本道を、思春期を迎えた中1の男女が、数歩の間隔で下校する。夕暮れの中を前を歩く、口を真一文字にキュッと結んだ精悍な少年は、肩に初恋のときめきに包まれながらも・・・・堅く歩く・・・・・   
少女は、振り返らぬ少年の後姿を、口元に笑みを浮かべて見守る。彼女は、心の中で少年と会話を交わしている。いたづらぽい目を、少年の身体全体に向けて・・・・・・・
『ねぇ~、R、素直じぁないよ。隠しても、分かるよ。おバカさん!やっと、同じクラスに成れたのに!』

 一本松を過ぎ、道は東に折れる。後100Mもすれば、分かれ道である。名残惜しい気持ちに、少年はぐぅつと生唾を呑み込む。少年は南に、少女は東に、今日の出来事を胸に強く刻みながら、家路を急ぐ。

<第二次性徴>
 Tが相談に来た。彼は、K子に喰らった平手打ち2連発の失地回復が、したいらしい。・・・・・・・・
私は、彼に大きな借りをしている。フザケタ男であるが、例の一件については私には、『主犯の辛さ』があったから、面と向かっては無碍(むげ)にすることは出来ない。

 H・Rの時間が来た。Tが赤い両の頬っぺたを、緊張に一段と赤らめて手を挙げた。彼は、普段からどもる傾向がある。そのくせ、中々の目立ちたがり屋である。授業中でも、怒られ屋の常習犯の1人である。クラスの好奇の目と訝しげな怪訝そうな視線が、一斉に彼に注がれる。緊張にTの唇はピクついている。その反面、彼の目は注目された事に対して、満更でも無さそうにクラスを一舐めしてから立ち上がったのである。

・・・・ こいつは、どこかオカシイ。変な奴に、俺は見込まれてしまったものだ。情け無い・・・・・・・

 「あの~、何て言うか~、その~、俺達も中学生だし、マセた早いやつは、ヒゲも生えてるし、
<Tは、Oを見遣ってニヤリと笑って言った。Tは、どっしりした体格を崩さず、顰め(しか)面をした。Oは、私にTのヤツ俺達に何か仕掛けて来る積もりだ。前と後ろで『挟み撃ち』にしようと、私に目配せをして来た。私は、分かったとOに目で合図を送った。議事進行は俺がする。Oは、クラスの意見を誘導しろ。>
女だって、エッヘン、
<今度は、T子の色白な身体に目を向けた。>
 身体も大人になって行く。2・3年生を見れば分かるだろう。それが・・・・あれだ。要するに掃除の時に・・・・・スカートで、でかいケツ、いやでかい尻を、こうやって、つまり・・・・俺は、生チョロイ大根脚は、本当は見たくは無いのだが、それが、俺もゾウキンがけをしてる訳だから、その~勝手に俺の顔の前にある訳だからして、メクラじぁね~限り、見えるってもんだ。それを何て言うか・・・・
<バカヤロウ!場を弁えろ。衝動・連想を行動に直結する変態バカは、精々、学年に2~3人だ。その1人が、お前だろう・・・・・>
 要するに年頃なんだ。・・・・ムラムラと来る奴も中には、いるかも知んねぇ~って事だ。
<バカヤロウ! 何で俺の顔を見るんだ。同類項じぁ無いぞ!! 早いとこ、要件を言え。タワケの口は、何を喋り始めるか? 皆目見当が付かない。・・・・如何する・・俺が纏めるか、それとも、もう少し様子を見るか・・・・>
 要するに、俺の言いたい事は、・・・・・女にだって原因があるって事だ。だから、その~、大根脚を隠す工夫・・・・体育の時は、スカートじぁなくて、トレパンをはくんだから、トレパンでゾウキンがけをしてもらいてぇと思う。」

    ・・・・・・女子達から一斉に、Tへの蔑(さげす)みの糾弾の声が上がる。・・・・・・・
 
「静かに!! Tは、恥ずかしいのを我慢して、手を挙げたんだ。言い方は、大変に拙(まず)いが、これも勇気だ。男女の第二次性徴の現れる時期だ。物事には、結果と、原因がある以上、予防は大事な問題だと思う。俺は、Tに賛成だ。この提案については、明日、多数決で決めたい。変に取らずに、考えてくれ。」
 
 私は、この問題について一方的に打ち切った。Tは、女の身体に人一倍の興味を持っている。明白(あからさま)過ぎて、同じ男として恥ずかしい限りであるが、筋は通っている。此処で意見の応酬の場など取ろうものなら、発言者が発言者である。Tは完全に『袋叩き』に成ってしまう。収集が着かなくなるのは、目に見えていた。多分、Tの本心の部分にある物を察している者も、何人かは居ることである。クラスの中でのTの位置付けは、悲しいかな圧倒的に低い。口煩い女集団に掛かっては、1人では抗し切れない。私は司会役をR子に任せて、ある事件を思い出していた。
 
<哀しい病気>
 それは、私が小学生の6年の夏の終わりであった。清掃の時間に、Mが私とYの所に遣って来た。Mは、小柄でナヨナヨした男である。乱暴な遊びを得意とする私達とは、何時も距離を置いて遊んでいる男であった。その彼が切なそうに助けを求めて来たのである。Mはこの処、毎日Dに放課後、理科室に呼び出され、『厭らしいことをされている』との事である。Dからは、その事を話したら『ただじぁ済まない』と脅されていると言う。Dは、クラスで一番図体のでかいガッタ坊主である。学業成績は、物の見事に最低ラインをキープしているのであるが、一向に気にしていない男であった。彼は気の弱い所があって、私には悪ふざけが過ぎると鉄拳制裁を良く頂戴していた。彼は何時も女の子達の身体に触れたがり、スカート捲りを無上の喜びとしている様な男であった。Dは、気の強い腕っ節の強い美形のT子に気が有るらしかったが、可哀想に相手が悪すぎた。Dが下手にT子に近づこうものなら、反対にバカD・スケベバカと「蹴り・平手打ち」が飛び、追いかけられる始末であった。それでも、Dは、T子の周りに居たのである。私はDのこの不可解な行動を観察しながら、Dは、私とは住む世界の違う『盛り病』と診断していたのである。盛り病として距離を置くと、可笑しなものでDに対しては、ある面大らかで居られるものであった。その点、私も少々変わっていたのだろう。
       放課後・・・・・・・・私とYは、Mを案内役に教室から離れた理科室へと向かった。  
 尻込みをする感じとは違うモジモジするMの態度に、私は何処と無く『違和感』を抱いていた。然し、何時に無くYは、強引にMを理科室に送り込んだ。Yと私は、息を潜めて、引き戸を少し開けて中の様子を伺う。Mは、窓に掛かった暗幕伝いに抜き足差し足で、引き戸の陰から見守る私達を、時折振り返り、尚を進んで行くのであった。Mが、東の端の暗幕で立ち止まり、暗幕の下を指差した。
Dがいる!!     私とYは、生唾を呑み込んで、身構え、Mに合図を送る。
D、D、     DD、
 Mの前の暗幕が大きくざわめき、Mの体はあっと言う間も無く、暗幕の中に消えた。
             うっう~、止めて~、止めろ!助けて~
 私達は、引き戸を荒々しく開けるや、Mを呑み込んでざわつく暗幕を振り払った。Mを羽交い絞めに抱き締めたDが、Mの唇を吸っている。
            何やってんだ!! バカヤロー!!
 不意を衝かれて、動転するDの顔面に一発、私の右ストレートが炸裂するや、大腰一発。Dが宙を切って床板に叩き付けられる。それをYが馬乗りに成って、Dの襟首を掴んで
 
  コノヤロー、恥を知れ恥を!! おお、何だコレは!! キサマァ~、コリァ何だ!! 立たらせてるな。とんでも無ぇ~ヤツだ!今日という今日は、許さんぞD!!覚悟しろ!! 

 Yは体を起こすや、Dのズボンを一気に剥がすと、事もあろうに、勃起しているDの一物に往復ビンタをかましたのであった。私はYの気迫に呑まれて、見学するより他無かった。Dは、やはりませている。もう陰毛を生やしていたのである。下半身をむき出しにされて、完全に伸されてしまったDを理科室に置いた儘、私達は意気揚々と引き上げたのであった。然し、私は、嬉々として私達に付いて来るMを、別の視線で見ていた。それは、辱めからの開放感だけでは無さそうに見えたのである。映画の中で、垣間見る男女の『感情的・一時的仕返し』を連想させる様な目の輝きを見つけたからであった。
・・・・・・・・この2人は、可笑しな関係にある。・・・・・・・ 私は、そう直感した。

 それから、1ヶ月程経ってから大事件が起こった。Dは事もあろうに、女子トイレの梁に身を潜め、女子の用便の一部始終を覗き見ていたと云う。偶々(たまたま)女教師が用便中、人の気配を感じて目を上げて、『ウギャア!!』と成り、早速、Dの担任にヒステリックな報告と相成った。怒り心頭で真っ青になった担任が、頬を痙攣させ、凄い剣幕で教室に飛び込んで来た。『鉄拳制裁』が唸りを挙げて、Dに吹き荒れたのは、言うまでも無かった。

 どう仕様も無い、困ったヤツは何処にも一人位は、いるものである。係わりたくは無いが、Dにしても、Tにしても、何故か知らぬが私に親しみの笑顔を、送って来るのである。実に厄介な男達である。私は、その理由を深くは考えたくは無かった。

 <憎めない奴>
 秋は駆け足で遣ってくる。東の美ヶ原台地に現れた紅葉の発端は、色彩を加えて日増しに下りて来る。通学路の柿の実も、色付き始めている。日暮れは早い。Nと云うクラスメートがいる。彼はクラスでは、一番体が小さい。顔中ソバカスだらけである。クラスで誰も引き取り手が無いので、私の班に所属している。彼の数少ない話し相手が、私の様である。彼は、生意気に私の名前を呼び捨てにしている。彼は俗に云う『落ちこぼれ生徒』の1人である。彼らにとって、授業は『苦痛』なのである。分からない授業時間は、実に『退屈』なものであるらしい。教師も彼らをそう判定しているから、授業の邪魔にならぬ限り、Nは、『蚊帳の外の待遇』を享受しているのであった。従って、授業中の『目の散歩』を日課としている私とは、良く目が合う間柄なのであった。そして、私とK子の『秘められた目線の会話』の目撃者が、Nなのである。

 教師の目を盗んで、彼は、それを手で口を隠して、大袈裟な口パク言葉で
「RとK子は、好き好き、おぅ~、はずかしい。俺見ちゃった。」
と黄色い歯を剥き出しにして、K子と私を指差して、『ケケケ』と茶化すのである。     
・・・・特権待遇を笠に着る『知能犯』である。ふざけやがって、癖になる。見逃す訳には行かぬ!・・・・

 授業が終われば、コノヤロウである。一発、張っ倒してやろうと一睨みすると、Nのヤロウは、廊下を一目散に逃げて行く。彼の方が廊下に近いのである。逃げ足の早いオオタワケである。何処に隠れているか知らぬが、雲隠れしたNは次の授業には、教師とはタッチの差で教室に入るのである。一度、席の近いK子に捕まり、ケツを思い切り蹴飛ばされたのであるが、懲りずに茶化すのを楽しみにしているのである。
 Nの通学路は、私と殆ど同じなので下校時は一緒の事が多い。彼は、ちゃっかり、私を『用心棒』としているのである。『歴然とした差』は、ある意味では『安全圏』に繋がるものである。中学時代は人生の中で、一番成長著しい時期である。1年で身長が、10数センチも伸びる時期である。腹が減るのは、当然の事である。通学路の果樹は、格好の腹の足しと為るべき物である。

 先日は、一日野外授業で『秋の写生大会』が行われた。会場は丘陵地帯のりんご畑が続く一帯であった。集団から離れて、日向ぼっこをしている間に、ツイ昼寝をしてしまった。咽喉が渇いたので、手を伸ばしてりんごを頬張っていると・・・・後ろからポンと肩を叩かれた。振り返るとNである。
 「Rいいだかや! ヘヘヘ」と、彼は実に鼻高々に嬉しそうに笑っている。
 「何だ、Nか、驚かすなよ。美味いぞ。果物は捥ぎたてに限る。Nも遣ってみろ」
 彼は周囲を素早く見回して、ムンズと腕を伸ばして赤くでっかいヤツを引きちぎって、ガブリと喰らい付いた。頬を膨らませて、
 「うんうん、うめぇ~、もぎたての味だぁ~。」
 「そうか、美味いか。そんなにガッツクな。行儀が悪い。こんなに成ってるんだ。好きなだけ食べろ。」
 「R、いいのかい? 」
 『バカヤロウ、良い訳、無ぇだろう。泥棒やってるんだ、見つかれば往復ビンタに決まってるだろう。』
 「どうする? Rがいいと言ったじゃないか!」
 「ハハ、俺1人じぁ淋しいから、Nにも仲間に成って貰ったって事よ。バカタレが、ざぁまぁ見ろ。」  
 「仲間か・・・・、まぁ、いいや。Rと仲間だったらいいよ。だまされた。へへへ。」

 NがSに呼び出されて、殴られたそうである。SがNの日記帳を取り上げて、私に見せてくれた。

 きょう、学校のかえり、R・S・Kと4人で柿をぬすんで食べた。4人だったので、いっぱい取ろうとしておれが、木にのぼって下のS・Kに投げた。Sが、あまい、あまい。もっと取れと大きい声を出すものだから、おれは、必死でえださきのかきの実を、もいでいた。そうしている内に、家の人に見つかってしまった。木の下の3人は、木の上のおれを置いて逃げた。おれも逃げたが、おばさんに竹ざおで足をたたかれた。もう少しで、木から落ちるところだった。あの3人は悪いやつらだ。本当に悪人だと思う。

・・・・・・・・・・良く、3人の事を書いてくれた。仲間を置き去りにして逃げるとは、言語道断の行為だ。正直に良く書いてくれた。3人の事は、これからも何かあったら教えてくれ。・・・・・・・

***本当に、Nの言う通りである。でも、Nも黙っていれば好いものを、抜けしゃぁしゃぁと恥も外聞も無くチクッたものである。Nは授業中、やる事が無いから、こんな事を真剣に書いていたのである。私はお人好しであるから、書く事が無いと言うNに代わって、代筆を何度かしてやった事さえあったのである。困った内職魔である。木の下の有利さで、一目散に逃走した私達を恨むのは、当然の成り行きである。Nは、チビた鉛筆を舐め舐めしながら、1人ほくそ笑みして、『彼の力作』を認(したた)めていたのであろう。きっと、鉛筆を舐めながら、私達3人の顔を見やりながら、黄色い歯を剥き出して『ケケケ』の隠し笑いを堪えていた事であろう。書いて、担任のお褒めの言葉を頂戴してNは、有頂天になり・・・一方、3悪人を代表して、Sが職員室でお説教を頂戴した訳である。Nにはガッタ坊主の鉄則・男はチクらずの仁義が、通らなかったのである。一人呼び出されたSにして見れば、『青天の霹靂・鳩に豆鉄砲・怒り心頭の沙汰』であったろうに、参った。Nの告発日記を見せられても、私はS・Kの様に頭には来なかったのである。N・S両者の心境が良く理解出来たので、怒るよりも、正直な処、笑いを抑える方が先決であった。 ・・・・・私が大いに驚愕したのは、生活日記とは、こう云う使われ方がされていたのかと、私は大いに合点すると同時に、これが大人の管理と云う『エゲツナサ』の正体を見る思いがした。私は、1週間・2週間分を纏めて記入するタイプである。短時間のイヤイヤ仕事であるから、その内容たるや、(本日、別に書くこと無し。特記すべき事無し。別段、これと云う事無し。)が、ランダムに続くのであった。私の提出日誌とは、格段の違いである。
因みに、私の担任からのコメントは、お前の文章能力Neary Zero!!である。***

            翌日、Nに謝ろうとして近付くと、逃げられてしまった。

<女の自信>
 秋が深まると、通学風景は濃い霧にすっぽりと包まれる。濡れた重い落ち葉の溜りが、間近い冬の気配を見せている。県営陸上競技場の銀杏並木は、黄金の紅葉をすっかり捥ぎ取られて、寒々とした『枯れ箒(ほうき)』の無残な姿を冷たい霧に晒している。
素足の下駄から、運動靴に替える季節が近づいている。男達は、変な競争意識を持っている。『我慢比べ』と云うヤツである。私はそんな物には、大して興味は無かったが、私が靴に替えれば、大勢は安心して『暖』に向かう事であろう。・・・・来週から、靴にしよう。・・・・ズボンのポケットに両手を突っ込み、大股で学校に急ぐ。

 私は片親で育っている所為で(女手1人で頑張っている母親に要らぬ迷惑は掛けられぬと思い)、極力、目立った行動を取る事を自重していた。私の素地は、内向性である。週に一度位は1人で居る事をしないと、精神の安定が保たれないタイプである。自分と他者との間合いの保持・客観性の追求・??・・・etc、人間、自分に欠けているもの・無いものを得ようとすれば、本来の自分の姿からは遠くなるものである。自分に課した無理は、ある側面、演技でしかない。演技のストレスが溜まってくると、私は1人の行動を好んだ。他人の存在に対する気遣いを、放棄するのは休まるのであった。私は、五感の感じる儘、見える儘、浮かぶ儘、思い・考える儘、自問自答の時を過ごすのが、実に性に合っていたのである。

 M地区を抜けると、一人K子が先を歩いている。気付かれぬ間に、合流地点で先に立たねば拙い。彼女が私を見つけ、歩速を早めている。この距離では、走らない限り間に合わない。・・・・しまった!!
 彼女が先だと、私は彼女の存在が大き過ぎて、如何しても追い越す事が出来ないのであった。仕方無く、私はモジモジと彼女のペースで歩くしかないのであった。その逆なら、彼女は私のペースで歩くのであった。
 思春期と云うものは、振り返ると可笑しな行動原理が働いているものである。口に出来ぬもどかしさが、表面上、ぎこちない行動を取らせる。・・・・気のある、気が通じる者同士なのであるから、同性同士の様に肩を並べ、思った事を話しお喋りをすれば、バラ色の思春期を謳歌出来ようものを、・・・・K子も敢えて1人、私も敢えて1人、周りは2人の心の内を知らぬ他人の筈なのに・・・・・
K子は大胆である。私の先を制すると歩速を緩めて、私との距離を縮め始めるのである。2・3歩の間隔をキープして、彼女の歩速は、学校まで緩急を付けて続くのである。一対一になると、女は強い。K子は、口元に微かな笑みを湛え、流し目で私の顔色を窺って満足げに歩いているのである。私はこんな所を、知った者に見られたら敵わないと思うから、彼女にテレパシーで『いい加減にしろ! 真面目に歩け!』と送り続けるのであるが・・・・・・念力不足で、通じないらしい。気恥ずかしさと表裏一体の、手を伸ばせばK子の肩に届きそうなバリヤの中で、私は彼女の髪・肌・息遣い・仄かな体臭・体温さえも感じながら、朝靄に煙る2人だけの密やかなる逢瀬の一時に、居るのであった。

 隣の3組には、S子と云うセクシーガールが居た。彼女の第二次性徴は、群を抜いていた。丸顔・色白・男好きのする顔立ちを、長い黒髪を水色のリボンで束ねポニーテールに流している。円くふっくらとしたバストは、男子生徒の注目を集めていた。
 私は、夏のある時、彼女の裸の胸を見てしまった事があった。体育館での催しの際、隣の3組の女生徒の列に、例の如く、見るとは無しに視線を動かしていたのである。彼女の半袖の腕の隙間から、角度の悪戯か?白い円くふっくらした胸の隆起・その頂点のピンクの乳頭が息衝いている様を垣間見てしまったのであった。
・・・・・・・・・・神秘的で、ドキドキする程 、美しかった。・・・・・・・・・
 
 S子は、男子生徒の好奇の視線を平然と受け流している様な、態度の大きな女であった。私は彼女に、特別な感情は湧かなかったが、自分の容姿に自信を持った、鼻持ちならぬ生意気振りに見えた。然し、目の保養には、打ってつけの存在であった。彼女のムッチリした白い太目の大腿部を目にすると、あの時の白い乳房が反射的に脳裏を占領してしまうのであった。私は、好みのタイプでは無かったから、彼女の視線には平然としていられた。彼女が廊下を歩いて来た。生意気な目の光に、私もフンと見返した儘にしていた。私の近くにK子がいて、私をキッと睨んでいた。誤解も甚だしい限りである。K子は当て付けがましく、Fと盛んに話をしている。私とK子の間には、会話は無かったから、誤解・錯覚は拗(こじ)れる一方であった。余りの当て付けに、硬派の男のプライドが頭を擡(もた)げる。

  ・・・・・・・フン、バカヤロウ、Fが好きなら、勝手にいちゃつけば好いだろう。俺は、男だ。・・・・・・

 心中、穏やかならぬ気分が充満しているのだが、私は男である。尻軽女の術中に嵌(はま)っては、男が廃(すた)ると云うものである。「去る者は、追わず」の闘争心と意地が、K子に向かって沸々と湧いて来るのであった。此処何日間は、私はK子と目は合わせていなかった。廊下の向こうからK子が、T子・I子と歩いて来る。

        ・・・・・・・・凄い形相だ。此処は一番、腹に力を溜めて、素通りするに限る・・・・・・・・・

        ガツン、K子の肩が私の腕を直撃する。

       「何だ、アイツ、この頃、おかしいぞ」

 K子がT子・I子に、仲間内の言葉として言った。私は、彼女のメッセージが解かった。授業中、K子に視線を送ると、彼女は目で頷いた。メッセージの冴えに感心すると同時に、お役御免と成ったFの落胆振りに『女の恐ろしさ』が、身に沁みたのであった。人が人を好きになると云う事は、反面、実に残酷な事である。

<山男先生の背中>
 季節は巡り、校庭の桜も葉桜に成った。窓から『好い臭い』が教室に満ちて来る。通称「山男」とあだ名されるK教師殿が、1人黙々と学校の畑に『肥え桶』を担いでいらっしゃる。先生は変わった経歴の持ち主である。私は兄弟が多かったから、先生の人となりを兄達から充分に承っていた。彼は海軍エリートである。若き軍国エリートが、大日本帝国の敗戦で選択した途は、高校教師であったらしい。校長と反りが合わず、先生は校長に「鉄拳制裁」を喰らわし、高校を辞め中学で英語と社会の教師に成ったと云う事である。彼は山をこよなく愛し、同じく登山家の奥さんと夫婦2人だけの生活をしている。夫婦の夢は、夫婦でのエレベスト登頂であると云う。彼は何時も登山服を着用し、教科書を竹馬の先に吊るし、竹馬で2km程の通勤を敢行している名物教師である。夏とも成れば、長身・鍛え上げられた肉体を、海軍伝統の六尺の赤褌(ふんどし)にキリリと巻いて、クロール泳法で裕に1時間を泳ぎ通し、意気揚々と職員室に戻る姿は、実に堂に行ったものである。寡黙にして、茫々に生やした髪の毛と髭の奥には、ハンサムな顔が隠されていた。何事も寡黙にして、黙々と1人でこなす先生の姿は、私の感性にピッタリの男の姿であった。私は、先生の知性とある種の哀しみを秘めた男の臭いに惹かれていた。

 時ならぬ『田舎の香水』の充満に、教室がざわめく。担任教師曰く、
 「何が臭いんだ。この臭いは、お前達の排泄物の臭いだろうが? K先生は、それを誰に言われるまでも無く、1人で黙って肥え桶を担いでいらしゃるのだ。お前達の中に、自分で進んで自分達の後始末をする者がいるのか!窓を閉める必要は無い!」

 反りの合わない担任教師であるが、正論である。「遣ってやろうじぁ無いか。」放課後、山男先生の応援をする事に決めた。嫌なものを他のクラスメートに強要するのは、私の流儀では無かった。それに、クラスを纏めて勤労奉仕などをしようものなら、それこそ、担任教師の『思う壺』である。反りの合わない教師に迎合する程、私はお人好しでは無い。「以心伝心」「意気に感じる」が人間である。仲の好い男子生徒達が、私に同調してくれた。

 便槽の板蓋を開けると、暗い便槽に蛆虫がのた打ち回っている。長柄の柄杓で掻き混ぜると強烈なアンモニア臭で、目からボロボロと涙は出るし、臭いと視覚で過敏な私は、咳き込み嘔吐を催してしまった。此処で、怯(ひる)み、たじろいでは、尊敬する先生に申し訳が立た無いのである。鼻がバカになれば、如何にかなるものである。意を決して、息を止め目を瞑って、長柄杓で排泄物を掻き混ぜ、肥え桶に掬い上げる。肥え桶に天秤棒を通し、ヨイショとばかりに担ぎ上げる。距離にして50~60Mはあるだろうか?要領を得ないから、前後の肥え桶の汚物が歩く度に、ピッシャン、ビッシャンと揺さ振られ身体に飛沫を飛ばすのである。初めての経験である。遠巻きにしていた連中が、私の『おっとり刀』の肥え桶担ぎを囃し立てる。

 「バカヤロウ、見世物じぁねぇ~ぞ。遣るなら遣る。ヤラネェ~なら、帰れ!」
 「R、おれもやるよ。」
 Nが手拭で顔と鼻を完全防備して、緊張した面持ちで天秤棒を担ごうとした。私とNとでは体格が違い過ぎる。安定の悪い所に持って来て、凸凹コンビで担ごうものなら、目的地の畑に辿り着くまでに大方が毀(こぼ)れてしまう。オマケに2人で黄金の飛沫を大分頂戴する羽目に成るだろう。
 「Nは、汲み取りをやれよ。担ぐのは、俺とOでするから。」

「おい、R、そのヘッピリ腰は何だぁ~、下手糞だな。俺が見本を見せてやる。」
Yである。まぁ、いいだろう。折角、協力してくれるのである。好意は有り難く頂戴するものである。私はYと一緒にヨイショとばかり担ぎ上げた。Yは、農家の倅である。中々に巧いものである。鼻も目もバカに成って来ると、人間ゆとりと云うものが生まれて来るものである。
 「おいおい、R、汚ったねぇ~な、わざと俺に引っ掛けたなぁ、チクショウ、おぅ、どうだどうだ!!」
 「バカヤロウ、揺らすな、あっ、まともに引っ掛かったぞ、これ、バカタレ、止めろ、真面目にやらん
か!」
 「何~を、R、糞桶が怖いかぁ~? ケンカは強ぇ~が、糞桶にぁ~弱ぇ~かぁ! R、糞桶なんざ、ノミのキンタマみてぇなモンよ。糞なんてもんは、鼻がバカになりぁ、チョチョイのチョイってもんだ。どうじぁい、もう一丁、オゥ~ら!」

 バカは調子に乗ると、手に負えない。・・・・・・ほとほと困ったヤツである。然し、有り難い助っ人である。

 やる気があるから、様子を見に来たのである。T子K子のグループもいる。彼女達は、手拭で顔を覆い、女子便所に向かったのである。女達に負けては、男の沽券(こけん)に係わると思ったのだろうか? クラスの3分の1が自発的参加をしてくれたのであった。人間自発的参加の集団行動と成ると、可笑しな事に、肥え桶担ぎも作業と云うりも、一種のお祭り騒ぎとなるものである。時ならぬ臭い騒ぎに、他のクラスの連中も見学に来る始末である。


 ある時の放課後、私は校庭で仲間達とサッカー遊びに興じていた。校庭の周囲は、畑である。畑の傍らには、その当時の日本産肥料の代表格『肥溜め』が並んでいた。ゴールから外れたボールは、転々と転がり黄金の土壷(どつぼ)に良く飛び込んだ。大体に於いて、土壷の周辺と云うものは、栄養分が良く行き届いているらしく、雑草が生い茂っていた。農家の人達も、臭いものには蓋と思ってか、草刈はしていなかった様であった。無謀にも、勇み込んでその草むらに入ろうものなら、ズブリと腰まで沈んでしまうのである。幾ら不注意の結果とは云え、糞溜めに嵌った者から言わせれば、農家の落とし穴・だまし討ちに嵌った様なものである。我々は、中学生である。糞塗(まみ)れの形(なり)で、オメオメと家には帰れないのである。恥ずかしい思いをして、川で泣く泣く臭い洗濯をして、川の流木の小枝を集め、乾かさねば成らない羽目になる。そんな時は決まって、仲間の弔いの為に憎き土壷に投石で、意趣返しを敢行するのであった。人の集団には、面白い傾向があるものである。オッチョコチョイと云うか、ハタマタ、学習能力の乏しい者が、集団の中には大抵1人か2人は、居るものである。同じ過ちを何度と無く繰り返すタワケが、いるのである。その日も、私が蹴った場外シュートを、Nが先頭を切って走り出し『ウギァ~』の悲鳴と共に、草むらに没したのであった。顔面蒼白のNを肥溜めから、引き上げ2人付けて川に送り、残った連中は、楽しい土壷潰しである。校庭には、T子、K子達のグループも、別にサッカー遊びに興じていたのである。面白い悪戯に男女の区別は、無いものである。一時彼女達も、意趣返しに参加してしまったのである。

 「こらぁ~、てめぇ~達、何んて事しやがる!! 」

 蜘蛛の子を散らすの喩えを、地で行く逃げ振りであった。逃げ足の遅い仲間が捕まれば、男として逃げる訳には行かないのである。これは自首とは言わず、『男の見栄』と呼んでいるものである。捕らえた捕虜を前に、農家のオヤジが無精髭の頬をピクピク痙攣させている。

 「おい、クソガキ、名前は!! 何年何組だ!担任は誰だ!」

 直立不動で散々お説教を頂戴して、肥溜めの石さらいまで仰せ付かってしまった。私が代表して神妙に頭を垂れている姿が、気に成ったらしくK子を先頭に女達が、塩らしく姿を現わして来るのが見えた。彼女達は、あの時の一件の借りを返して呉れたのであろう。凡そ糞尿とは、程遠い美形2人の肥え桶担ぎは、天晴(あっぱ)れなる率先行動であった。

 校内陸上競技大会が開催された。全校生徒が県営陸上競技場で、1日を費やしてクラスマッチ方式で競技を行うのである。この競技大会での成績上位者は、学校代表とされC地区、T地区の大会に出場する。C地区での上位3位までに入れば、県大会に出場する。県大会は、NHKに依って全国大会と成る日本中学生放送陸上大会と成る仕組みであった。何分、今と異なって集団・所属の名誉が強く叫ばれていたご時世である。練習は、5月から始まってT地区大会が行われる10月迄延々と続くのである。放課後2時間程度のしごきを鬼監督から受けるのであった。1年から3年迄遣らされたのである。
 私は高飛び・幅跳びの小学記録を持っていたので、否応無く扱(しご)かれた。私の分担は、高飛びとリレーであった。記録的には、幅跳び・三段跳びの方が良かったが、1人で4種も出来なかったので監督の裁量で上記の2種に成った。奇妙な事にリレーの4選手中3人が、小学1~2年の同級生であった。スポーツの扱きは、きつい物である。遊びで遣っている分には好いのであるが、扱かれ体力の限界まで絞られると苦痛以外の何物でも無くなってしまう物である。私は根っからの集団嫌い、強制嫌いであったから、ストレスが溜まりに溜まってしまう。疲れて帰れば、少しは勉強しろと兄達に言われるのが嫌で、押入れに入って寝ていたものである。授業中も半分は寝ていた。時々、余りの疲労で鼾を掻いて、隣から腕を突付かれる事は幾度と無くあったものである。
 教師に嫌味を言われるが、内心は「ふざけるんじゃねぇ~や!好き好んで夏休みも返上して扱かれてる訳じぁ無い。文句があったら、同じ風にバカ監督に扱かれて見ろや。体が休養を欲してるんだ!走り終わって、反吐を吐いた経験があるのか?勉強が出来ない訳じゃ無い。社会・理科は学年で一番の座を譲り渡した事は無いじゃないか!半分寝てても、覚えるべき事は覚えているじぁないか。授業中に騒いでいる訳で無し、束の間の熟睡タイム位見逃してくれても良さそうなものを、・・・・・・・・・」
・・・・決して口には出しては為らないが、気分に依っては、そんな反発も出る日もあるのであった。・・・・

 待ちに待った給食の時間である。盛り付け当番がK子の時は、実に有り難かった。彼女は自分の分を削って、私に何時も大盛りにしてくれていた。お互い好意を抱き合う2人であるが、これは秘密の感情である。私達は面と向かっては、殆ど言葉を交える事は無かった。

人目がある時は、小さな声でそっと顔を赤らめて、
「今日は、お腹の調子がオカシイの。食べてくれる?」
「最初ケチっちゃたから、余ちゃッた。多く注がないと残っちゃう。」
                    彼女の精一杯の言い訳が、私には気恥ずかしく、又、嬉しかった。 

 T子の場合に成ると、さすがに女ボスの貫禄である。
 「Rちゃは、クラス、学校の為に頑張ってるものね、この位、食べなくちゃね。お代わりもあるよ。」
 大きな声で言われて、私の方が人目を気にして、大いに恐縮してしまうのであった。

<夏の楽しみ>
 夏休み練習は、午前中である。昔の陸上練習法であったから、陸上部員には水泳はキツイご法度であった。監督先生曰く、陸上と水泳とでは使う筋肉が異なるから逆効果であるとの仰せであった。従って、中学の3年間は好きな水泳が制限されて、私の夏は消化不良の夏であった。夏練習の唯1つの楽しみと云えば、陸上仲間と練習が終わった後、競技場から自転車で4~5Km程のM川の上流のM地区に魚取りに行く事であった。その当時の自転車には、変速器なる洒落た物は装置されていなかった。山林は植林が盛んに行われていたが、マダマダ禿山が目立つ時代であった。山の保水力は回復されず、私の家の前のM川は、雨の放水路の役割をしているに過ぎない有様であった。夏には太陽に炙られた川底の石が、アオミドロの干からびた白い石腹を累々と横たえ、葉をだらし無く垂れた草むらが続くばかりの風景であった。
 それがM地区では、清楚なる渓流の流れがあると言う。魚達も、カジカ・ヤマメ・イワナが泳いでいると言うのである。人間、何かの楽しみ有っての夏休みである。仲間と示し合わせて、その日は、体力温存の手抜き練習である。手作りの水面と釘を潰して先を尖らせたヤスを作り兄の自転車を借りて、握り飯を頬張りながら、キツイ上り坂を汗に塗れてペダルを漕ぎ続けるのである。学年代表の陸上仲間であるから、当然クラスが違う。又、それが新鮮でもあるのである。山間の傾斜地に人家が数軒かたまり、平坦地には田んぼが続き、畑が続く。一番低い所を川が流れている。山が視界近くに、頂を真っ青な夏空に競り上げ、真っ白な入道雲が、蝉時雨の中に輝いている。吹き零れる汗の報酬が、この別天地なのである。
 自転車を木陰に停め、陸上パンツその儘に石垣を伝って川に下りる。水面の内側を曇らぬ様に、ヨモギの葉を石で潰し、その葉汁で洗う。川の水温が冷たく心地良い。水面から覗く水中の様子は、別世界である。カジカは昼の間は、物の影に潜む習性がある。川底の石を用心深く移動して行く。灰色から焦げ茶の地肌に黒い縞模様をしたカジカが、石を剥がされてスゥーと10cm程直進して停まる。そこを息を止めて狙いを定めて一気にヤスで串刺しにして捕獲するのである。背中をグサリと串刺しにされてもがくカジカを串刺しにした儘、力を緩めずに左手を添えてカジカを落とさない様に水面に入れるのがコツである。ヤマメ・イワナは、にがみ取りである。川下から入り、歩いて行けば、魚達は驚いてスゥー・スゥーと川上に逃げるから、その魚影を目で追い、潜んだ石陰を手で探って行くのである。彼等は水中を住処としているのであるから、縄張りに幾つかの逃げ場所を持っているのである。
大抵は大石の奥深い中に逃げ込むのである。指先に彼らのヌルリとした魚体を感じたら、シメタものである。後は人間様との知恵比べ・根競べに移行するのである。石の奥が手の届かぬ奥深さであっても、奥が塞がっていれば、こっちのものである。石の出口の周辺を頑丈に砂利で囲ってしまえば、此方のものである。後はイヤイヤをする魚達を1匹づつ引っ張り出して、地面に放り投げれば良いのである。地面にバタつくヤツを捕獲する相棒が付いているのである。此処が人間のチームワークの良さである。人数分の漁獲が揃えば、後は楽しい試食会の運びとなる。仲の好い遊び慣れた者同士である。川原の流木の小枝を集めて火が起こされ、塩も醤油・砂糖も持参している。カジカは葦の串で素焼きをした後で、砂糖醤油のタレで、ヤマメ・イワナは塩を塗して遠焼きにして、脂がジュウジュウ沸き立つ処を頬張るに限るのである。
堪能した後は、日陰のコンクリートに大の字に成って、草むらのキリギリス、山の蝉時雨に耳を預けながら、昼下りの昼寝を存分に楽しむばかりである。

<冬の楽しみ・スケートと穴釣り>
 春夏秋冬を以って一年とする以上、些かなりと云えども、苦手の冬についてもページを割かずばなるまい。山国信州の冬は、猛烈に寒い。寝床から脱け出るには、余程の決心・勇気・諦めが必要である。  太陽が東の山間から顔を覗かせる前の20~30分の一時、西の白銀を被ったアルプス連峰の山並は、澄み渡った薄水色の空に茜色に光り輝く。大人・都会人・インテリ層は、冷気に対峙して、身の引き締まる凛とした荘厳さを感じるらしい。然し、私の様な低血圧・物臭太郎の者には、トイレの小窓から見える茜色に染め上げられた連山は、背中のゾクゾクと凍み入る武者震い以外の何物でも無いのである。便器に湯気を立てる小便に、何か体内の保温器の熱量を奪い取られた様な感じさえ覚えて、・・・・・おお、さむ、嫌だ嫌だ!の呟きが関の山である。
 焚き付け当番が新聞紙に火を付け、モウモウと煙を吐き出す薪ストーブを囲んで、皆震え上がっている。急かされて当番がストーブの焚き口を開けて、下敷きを団扇代りに扇ぎに扇ぎ、漸く細木に炎が移る。メラメラと赤い炎がストーブを満たし始める。燃え盛ってくれば、今度は遠巻きに、体の向きを前・後ろに忙しなく入れ替える。明日からは、寒中休みである。寝床とコタツの一日が待っている。
 「R、M湖のスケートは何時行く?」 
 「そうだなぁ、明日は思いっ切り寝坊をして、明後日行こうぜ。」
 真冬の遊びは、限られている。精々スケート遊び位しか無かった時代である。その当時の学童・学生・大人達は、休みの日は挙(こぞ)って山の人造湖M湖に1日を掛けてスケートを楽しんだのであった。M湖はM盆地の行楽地であったから、春・夏・秋は釣り・ボートで賑わい、冬は良質の氷のお陰でスケート競技の開催地であり、ワカサギの穴釣りでも名を轟かせていた。 
 A温泉からは、バスが運行していた。休日はバスを待つ人で、中々に繁盛していた。然し、地元の子供達は待ち時間と料金がもったいないので、自分の足で歩いて登った。所要時間は40分~1時間半を要した。女子はバスの道を延々と歩いて登り、男子は最短距離の別名「木落し」の難所越えを敢行したのである。この難所は、小学5~6年生から挑むスリリングな斜度70度前後の正面突破のルートである。この難所越えに成功すると、仲間内から度胸と体力・気力を認められ、一目を置かれる男となるのであった。雪と氷で脚を滑らせると、大分下まで転げ落ちねば止まらない実に痛いルートなのである。従って、自分が登るのがやっとのルートであるから、同程度の者同士で登るのである。友達は、それぞれ家の方角が異なるから、学校で日時を決めてM湖で落ち合うのである。M湖は、天然の青氷の400Mリンクがゆったりと2面取れる充分な広さがあった。
 地元の私達は、早朝と夕方をワカサギ釣りに当て、昼の時間をスケート・山の斜面を利用しての反り遊びに当てて、山上の凍て付くM湖で鼻水を啜りながら、終日を遊んでいたのである。
 ワカサギ釣りは、場の確保が釣果を左右する。従って、5時起きである。各自が工夫を凝らした穴釣り用のミニサイズの手作りの竿を自慢しながら、釣果を競うのである。日の出前の空気は、毛糸の耳宛の隙間から耳孔に達し鼓膜をジンジンとさせる寒さである。ジャンバーには霜が立ち、顔面は冷気に硬直する。開氷した水面に氷が張り出す。そんな寒さとの格闘の最中、浮きがピクピクと氷の下のワカサギの魚信を伝える。ポケットから手を出し、タイミングを息を呑んで計る。
「ピク!」
 すかさずミニ竿を上げる。 手応えあり! 釣り糸を通して、針に掛かったワカサギの悶えが伝わって来る。スマートな銀鱗を氷上に何度か、くねらせると彼等は瞬く内に冷凍魚と化す。彼等は回遊しているから、釣れ始めると大忙しである。自分の穴に魚信の無い者は、焚き火の管理をする。焚き火で暖を取るのは、共益行為であるから共同作業である。凍えた体を火で温める間は、他の者が彼の竿も受け持つのである。黒焦げの餅にミソを塗り、やかんの熱い湯を練り味噌に注ぎ味噌汁とし、腹を満たす。       

 橙色の太陽が顔を出す。太陽の明るさ・光は、偉大な力と作用を持っているものである。黎明に硬直していた心身を、『暖』と云う希望に導くのである。

 案の定、10時頃にT子・K子達のグループが遣って来た。昼は、即席ラーメンを鍋で煮て食べた。M湖に近い農家のUが、ネギ・卵・干し柿・干し栗の差し入れをしてくれた。昼食後、スケートでリンクを滑る。街場の者達と違って、村の者達の滑りは全く違う。私も小学1年から兄達にスケートの手ほどきを受けた身であるから、自慢出来る滑りである。リンクには付属中学に行ったA子・M子の姿もあった。人込みの中では、荒っぽい滑りは出来ない。仲間を集めて、アイスホッケー遊びに汗を掻く。
 午後のバスが氷上から賑わいを運び出す。じっくりと火に当ってから、夕方の一勝負である。夕暮れを前に、浮きがピクピク動き始める。冬の黄昏は駆け足で遣って来る。母上の小言が頭を過ぎるのであるが、好きなものは仕方が無いのである。今頃、母上はミカンの皮をみじん切りにして、大根おろしの用意をして、晩のおかずを待っているのである。ワカサギの天ぷらは、我が家の人気メニュー・冬の味覚の1つであった。

                    <番外編>
<三九郎>
 中学生と小学生とでは、行事が異なった。小学生の行事には、お盆の『青山様・ぼんぼん』があり、正月明けの『三九郎』があった。中学生の行事には、夏の『少年野球大会・バレーボール大会』があった。そして、秋の『たいまつ祭り』への参加があった。
 三九郎は、寒冬季の小学生達の最も楽しい遊びの一つであった。M川の河原は春夏秋冬、小学生達にとっては、いちばん近い広々とした遊び場であった。その河原に大人達の手助けを全面的に受けて、三九郎が作られるのである。三九郎焼きは、どんど焼きの事である。4m程の丸太数本を円錐形に組み、周りを炭俵・筵・藁で囲い、正月のしめ縄・角松で表面を飾り、円錐の交差する丸太の先に、大達磨を飾り付けるのである。娯楽の乏しかった時代の町内挙げての一大行事であった。
 正月は何処の家庭であっても、一年を支配する行事であり、正月行事の伝統が生きていた。100所帯を優に超す過程から提供される材料は、三基を作っても余りが出た。三九郎焼きは、一月十五日成人の日であった。柳の枝に米の粉に赤・黄・緑の食粉を入れて練った繭玉を突き刺して、三九郎の火に炙って、家内安全・無病息災を祈念して食べる行事である。

 三九郎の内部は、意外と広かった。公民館が貸してくれる七輪を囲んで、餅を焼いて食べたり、双六・花札遊びに夢中になっていたものである。親公認の温かい遊び場であったから、女の子が良く集まって来た。私達硬派連は、何処と無く女の子達は苦手の口であったから、広い河原に散らばって自分達専用の筵小屋を作って遊んでいたものである。
 盆地は降雪量は少なかったが、気温は凍ばれるほどに下がった。川は分厚い氷が張り渡り、氷で堰き止められた水が、太陽と水量に耐え切れなくなって、11時前後になると大きな音を立てて、流れて来た。雪が積もると、喜び勇んで大きな雪だるまを幾つも転がして、堤防の傾斜にスキー場を作った。北風と太陽の童話では無いが、滑り台が消滅しない様に、川の水をバケツリレーの要領で運び、冷凍保存するのが、遊びの対価であった。アカシアの枝で組んだ筵小屋に石の竈を作り、河原の流木の煙に咽びながら、マンガ本を回し読みしながら、遊んだものである。
 退屈すると、砦襲撃と称して、他の筵小屋を襲い、チャンバラ合戦をして、敗者を捕虜として薪取りに使役するのであった。ルール上、相手方が三連敗すると、火矢を放って敗者の筵小屋を焼き尽くすのであったが、映画の様には行かず、ぼろきれに貴重な灯油を染込ませて合戦したものの・・・灯油の調達に失敗すると、日本のおっかさんに一列に並ばされて、ビンタを頂戴もした。河原は、枯草の繋がりであったから、焚き火・火遊びは、し放題であった。河原のボスは6年生であった。中学生になると、河原は見る見る内に、小さく成って行った。

<少年野球大会>
お盆休みを当てた夏休みの少年野球大会は、秋の村民運動会に匹敵する一大メーンエベントであった。農業・自営業の大人達が多かった時代である。そんな中で大々的に行われた区対抗戦であった。会場は、大人達にとっても嘗ての通い馴れし学び舎・中学校のグランドである。中学生になると、体格面では立派な大人の仲間入り期でもある。競技をする者・応援する者との間には、小学生とは全く異質な連帯感が、通じて来る物の様である。
 近所には、必ず野球狂の大人が二人や三人居たものである。前年の雪辱戦に賭ける大人の熱気に、素直なる少年達は、炎天下で連日の猛特訓に駆り出された。兎に角、昔の大人は、髭面・凶暴で強かったのである。今と違って娯楽の乏しかった時代である。試合当日は、区を挙げて、『お重と酒』を携えて、大人達が大挙して観戦に馳せ参じるのであった。
「ストライク!! バッター三振! !スリーアウト!!」
「バカヤロー、ボールじゃねぇーか。審判退場!!」
 野球狂は、バックネット裏に陣取る多勢審判席である。酔いが回れば、何とやら・・・ 争うは、竹馬の旧敵か? 大人同士が審判の判定を巡って、炎天下に炙られて、嫌が上にも熱くなる大会風景であった。   私は生まれながらの傍観者である。嗚呼、コイツにして、この親あり、この区あり。・・・等と奇妙な感心・得心を示していた。私には、チームの勝敗よりも、K子の私を見ている姿の方が気になった。ワンアウト、ワン・ツー、ランナー無しである。三振はカッコ悪いから、次のストライクを強振して、男を挙げるべし。さぁ、カッチャン、投げ込んで来い!! 俺は当たれば、野球部以上の大スラッガーだぜ。

 <たいまつ祭り>
 十月には、『たいまつ祭り』の観光行事があった。教師の言を借りると、日本三大火祭りの一つと云う。直径2m強・高さ2.5m程の麦藁を硬く締め上げた「たいまつ」を秋の収穫に感謝し、五穀豊穣と家内安全・無病息災を祈願して、湯の街を練り歩いて神社にたいまつを奉納するのだと云う。たいまつの大きい物は、中学で一つ、高校で四つ、大学で一つ、旅館組合で一つ。これらは担ぎ手を20人前後必要とした。10人・5人程度で担ぐ中小のたいまつが、10数体奉納される。変わった処では、芸者衆が担ぐたいまつがあった。芸者衆と書くと「粋・色気」を連想し勝ちであるが、それは本の最初だけである。晒しをまいてきりりと巻いて、祭り袢纏の半肩姿も、酒気を帯びたと云うよりも、酩酊の渦にある芸者集団の放つ臭気は、男と寸分違わぬ動物の臭いでしかなかった。
 
 奉納経路は、温泉街の入り口であるA橋を6時にスタートし、平坦な下A地区を東上して、小学校の校門手前の交差点を右に曲がり、温泉街の中心地・中A地区を進む。上A地区への境からは、上り坂が口を大きく開けている。その三叉路の真ん中を上るのであるが、此処が最大の胸突き八丁なのである。上り終えると、最高地の温泉街を北進する平坦地である。そして50~60m下り右に折れると、最後の最後の難所が、山腹に社を構えるS神社の参道である。参道は直線坂である。声は潰れ、握力も無く、膝がガクガク笑う正念場を根性一本で、息も絶え絶えにゴールの満足感である。境内の奉納場所で「たいまつ」は灰と化して昇天する。
 2km程の道程であろうか。たいまつが火に包まれない様に、放水をしながらの迷走行軍である。煙と煤に温泉街は、煙に煙る。大小様々の迷走行軍の所要時間は、5~6時間に及ぶ。麦藁の締めの足りないたいまつ・放水の足りないたいまつは、崩壊・内部への火の回りで、目的地に達する前に恥を晒す羽目になるのである。

 たいまつの迷走行軍は、無礼講にして野性的である。煙に咽返り、背中のカチカチ山に耐え、たいまつ同士の野獣の諍いを腕力で跳ね除け、水浸しの麦藁の小山を引き摺り回す体力と気力が必要なのである。たいまつのリーダーは、担ぎ手の体力・気力、たいまつの状態を計って、指揮を執るのが仕事である。担ぎ手の休憩に、或いは呼吸合わせ、戦闘意欲を鼓舞させる為に、集団の結束を校歌・寮歌・応援歌で確認し合うのである。観客とたいまつの担ぎ手が、不思議な一体感・連帯感に満ちる。こんな時が、迷走行軍の意気を刺激して、担ぐ・見る双方に、祭りの実感に酔いしれる気分を与えてくれるのである。
 たいまつの担ぎ手に選ばれる事は、男子として実に名誉な事なのである。観衆の中のK子の歩みは、常に私の属するたいまつと共にあった。中学を卒業して高校を卒業するまで、その関係は続いた。
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