旅行編、ショート編。旅行編は、エロチィック・エッセイ。ショート編は、日常些事のショート・エッセイ。創作編は、短編小説。マイ・ギャラリーは、各編の自作挿絵の収録。

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心何処ーショート 同年生ブログ友・SNちゃんと。
            同年生ブログ友・SNちゃんと。(9/19/13)

 天地動転為らぬ<天海動転の海>から解放されて、不動の陸は天国その物で在った。現地解散は、10時半を回った頃だっただろうか。別行動の私は、SNさんの車に乗る。途中、回転寿司に寄って昼食とする。丘陵の一角に在るSN家の玄関前には、おやおや、白とピンクのジャンボ・マツバボタンが両側に咲いて居た。

 ドアが開いて、奥さんのお迎えである。小柄で目の繰りくりとした明るい感じの人である。
「お邪魔します。Rです。図々しくまかり越しました。熊じゃ無いですから、ご安心下さい。」
「どうぞ、どうぞ。お待ちしてました。」

      居間に通されて座ると、車庫入れしたSNちゃんが遣って来た。

「如何だい、カァちゃん、Rちゃんは写真で見るより、ずっと優しい目をしてるだろ。好色ヤクザもどきだとか、クマ男なんて印象は全然無いだろ。男前で知的で上品な人だろ。想像していたよりも、ソフトな感じで、温か味のある人だろ。
 もう、俺なんかはさ、ホント、惚れ直しちゃた位だよ。初日はさ、夜を徹してベットの上で話に夢中に為っちゃってさ。次から次と、人生観に共通する処が多くてさ。幅も深さも在ってさ、思っていた以上の人だわ。」

「立派な、逞しい身体で、なんかオーラが凄いですよ。もう主人がRさんにゾッコンでしてね。好い人とお友達に為ったって。家でも、Rさんの事はベタ褒めなんですよ。他人の家に来たなんて思わないで、気を楽にして下さい。
 洗濯物在るんでしょ。出して下さい。お風呂も入ってますから。初対面ですけど、全然、そんな気がしないから不思議と云うか、御仁徳と云うか・・・主人が言う通りの人ですわ。どうぞ、どうぞ、寛いで下さい。」

「いやいや、買い被りは、見かけ倒し、飛んだ食わせ者って云うのが、世間相場ですわね。俺は詐欺師だから、危険人物だんね。あい~。何にもお土産が無いんですよ。梅干しとワサビ漬けしか無いですよ。」

「いえいえ、吊るし柿のお味と言ったら、本当に高級和菓子。それに沢庵漬けの美味しい事と言ったら、もう絶品でしたよ。」

「一個一個、皮剥いてさ、紐を通して吊るしてさ。大根干して、漬け込んで・・・、それであの真っ白な粉が噴いて、沢庵が上品な黄色に成ってさ、大根の甘味が。皆、手作りの穏やかな味に染まってる。飽きの来ない素の味だからね。Rちゃんの温かさが入ってるだぜ。そうそう、カァちゃん、今年の梅干し抜群だよ。食べて見な。人柄が入ってるよ。」

「あら、ホント。これ南高梅ですか、色と言い、柔らかさと言い、塩加減と言い。私好きなんですよ。お庭の梅に、紫蘇もそうなんでしょ。心がこもった逸品ですもの。並の男じゃ出来ませんよ。こんなに男性的な外観なのに、驚異の人ですね。持てるんでしょ。」

「奥が深いんだよ。Tさんに吊るし柿、沢庵漬けの事を話したら、それだけの奴じゃないよと言われてさ。RちゃんとTさんの長い心友振りが、ぐっと解ってさ。」

「へへ、夫婦揃っての買い被りは、後悔の元だんね。何てったって、俺ぁ今じゃ落ち目の三度笠で半男に半女の二足の草鞋でガンスわね。
 持てるのは、重い物だけでしてね。ニョショウさんには、話すも涙、聞くも涙の『連戦連敗』ですわ。そんな次第で、夢奇譚で妄想愛を仕出かして居るだけだんね。本当に、可哀想な傷だらけの裏街道の人生ですがね。へへへ。」

「またまた、何を仰います事やら。話術の巧みさと言ったら、ブログ以上ですね。Rさんは、人を惹き付ける魅力が在りますよ。亭主が言う通りの人ですよ。」

 こんな大歓待を頂戴して、ブログが取り持つ縁の面白さ、有り難さと云った感頻りで在る。煽てには滅法弱い人間であるから、風呂へ逃げ込んで、スキンヘッドと髭剃りをして来る。奥さんは洗濯物を洗濯機に入れて、美味いお茶を入れて下さる。未だ時間が在るからと、SNちゃんは、早速に鎌倉を案内して呉れると云う。

        流石に地元である。細い裏道をスイスイ走って鎌倉へ。

 鎌倉は起伏の多い土地柄である。水彩画を描くSNちゃんは、画題探しにバイクで寺周り、海岸巡りをすると云う。鶴岡八幡宮を脇から入る。脇から入って見ると、違った印象である。そんな次第で、観光客とは違った目線で、幾つかの発見をした。

 続いて、是非とも見せたい通称竹寺・報国寺に着いた時には、閉館であったが、細い通りの向かいには住宅が立ち並んで居る。小山の続きに取り囲まれた鎌倉と云うこじんまりとした空間の中で、観光寺院と街が同居している感じで、面白い感覚で在った。

 地元の歩く人の数の多さには驚いた。それも背筋がピンと伸びて、垢抜けした服装の普段着スタイルが、流石に田舎の松本とは違う。普段着の中にちょいとした垢抜け部分が、決して目立つ垢抜けでは無く・・・如何にもその人に馴染んだ感じである。そんな人達の雰囲気が、街全体の生活感を醸し出している。・・・そんな感じなのである。

 鎌倉幕府と云う侍の政権を打ち立てた武士団の本拠地・鎌倉の雰囲気なのだろうか。そんな雰囲気の中に、京都の豪勢、雅を嫌った武士団の歴史の様な物を、ふと感じたり、思ったりもした次第である。

 京都の雅を嫌った坂東武士団の意思は、こじんまりと確りした鶴岡八幡宮のあっさりとした色彩にも感じられた次第でもあるし、鎌倉と云う小山の続きが造り出す土地の狭さからの影響だろうか・・・そんな限られた土地柄から来るコンパクトさ。・・・鎌倉の雰囲気は、そんな諸々の物から来る個々の雰囲気とも関係して居るのかも知れないと思った次第でもある。

 鎌倉と云う歴史の大きさとは違って、実物の鎌倉の佇まいは、<妙なコンパクトさのバランスの中に在る>と云う印象である。

 帰りは、SNちゃんの水彩画に登場する海岸通りを案内して貰う。小さな漁港が在って、此処で水揚げされるシラスの説明を受ける。一度、魚の干物とシラスを送って貰った事が有った。説明を聞きながら、そのシラス丼の味は柔らかさと仄かな甘味が、ショウガ醤油の熱々の飯にマッチして美味かった。その時の上品なシラス丼の味が、口中に拡がって来た。

 夕食は、伊勢海老を如何して食べるかの質問であるから、大きいのを残して、小振りの奴を二匹出して貰う。

「え~とですね。料理鋏有りますかね。先ず頭の所を包丁で切りまして、胴の部分の背に鋏を入れて、こう切ります。
 そしたら、背を開く様にして開きます。そして指で身を剥がして、刺身に切り分けます。頭は包丁でがっつりと二つに割ります。味噌を味合いますから、汁が大事なエキスだんね。全部鍋に入れて味噌汁とします。
 味が濃いですから、味噌を濃い目に入れると風味とコクが出ます。薬味は、刻みネギをたっぷりと。大丈夫ですね、日本の主婦だから、大物は夫婦で食べて下さいよ。」

               熱々の味噌汁が運ばれて来た。
「これは美味い!! 」

「奥さん、好いですねぇ~。こんな美味い味噌汁、俺ぁ、生まれて初めてだいね。大したもんだわさ。」

「どれどれ、私も。ああ、美味しい!! 香りが在って、コクが在って、エビ味噌の甘味が・・・ 何か、幸せな気持ちに成りますね。」

 SNさんは鹿児島の産、奥さんは横浜の産、私は北海道の産では在るが、心温まり、話題が多いに弾んだ夜の一時であった。

         夜から、台風の影響が出て来た。翌朝は風と雨であった。

 テレビでは台風の猛威で、京都の川の氾濫を映し出している。そんな各地での生々しい台風災害の映像を見て居ると、クルージングと云うには全く対極で在った強行軍の結果と為った大荒れクルージングでは在ったが、無事に帰って来れて『大正解』で在ったと思った次第である。

 午後から天候が回復して、SNさんと私は横浜見物に行く事になった。横浜のシンボル港みらいの展望台から、全景を見る。展望台で母、娘夫婦?の三人連れの娘さんと云っても30半ばの大柄で落ち着いた雰囲気の美人さんが、良かった。

  ★鎌倉・横浜二日間の中で、一番の目の保養をさせて頂いた次第である。へへへ。

 其処を出て、帆船日本丸が停留する界隅(かいわい)をぶらぶら歩き、巨大なクジラを模した施設に入り、海を眺める。其処を下りて山下公園でジュースを買い、テーブルで一休み。

 テーブルには先客が一人居て、スキンヘッドの私の顔を見て、その男は余り聞き取れない声で話し掛けて来る。聞く処に寄ると、彼は今朝方、出所して刑務所内労働で40万円を所持して居るが、早く働かないと生活が出来無く為るとの事で、何か仕事は無いかとの事らしい。

 へへ、彼は、私も同様の<その筋の人間>と見て取ったらしい。想像は100%個人の自由との事でも在るからして、私としては抗議をする術も無しで在る。

 夕食は中華街で食べようとの事で、中華街に向かう。横浜の目抜き通りを歩いて居ると、私の様な田舎者には、何んと無く『中国系』と思しき顔立ちの人達が多い事に気が付くものである。それは髭の薄さとか、幾分のっぺりとした細面の目の細さの顔貌、日本人とは多少の皮膚の色の違いから来るのかも知れないが・・・それでも日本人・日本の光景に同化して居る。

 中華街を適当に歩いて、横道の適当な店に入る。中には居ると、店のスタッフは中国人である。そして客達は、テレビで本国映像を見る様に刺々しさを孕んだ丸顔の福建省辺りの人間達の様な感じである。

 この処、私はすっかり嫌中感情が高じて、彼の国を毒亜国・中狂国と扱き下ろして居る次第では在るが・・・ これも類は友を呼ぶの世の倣いで在る。先ずは友を祝して、生ビールで乾杯して、夕食とする。

「さっきの男はすっかりビビっちゃって、何か、ヤクザの親分に接する見たいに立って、オジギするんだから、Rちゃんは大したもんだわ。」

「またまた、こんな品の在る男をヤクザと見ちゃうんだから、人を見る目が無い。だから、刑務所なんて所で、臭い飯を喰っちゃうんだろうね。困ったもんさね。へへへ。
 其処へ行きぁ、展望台の美人さんの方が、人を見る目が在らぁね。ホントは、美人さんだったから、トックリと目の保養をさせて貰いたかったんだけど、男が亭主殿だと頭かち割られちゃうからね。好い女だったね。もうちょっと観賞したかったね。イッヒッヒ~!!」

「うんうん、向こうも見てたね。Rちゃんは市川団十郎見たいに、目立つもの。伊達にロシア女とジッコンには為らないよ。あれだね、Rちゃんと一緒に居ると、俺も面白い観察が出来るもの。Rちゃんが女好きで助平な事は、手に取る様に分かるからね。ひひひ。相当、人生楽しんで来た口だよ。」

「何を扱いてるだい。SNちゃん、俺の枕詞知ってるズラ。<金無し、毛無し、女無し。止めが甲斐性無し>のヘレン・ケラーの三重苦を突き破っての四重苦、落ち目の三度笠、妄想に生きる底辺貧民だんね。あい~。ブログ毎日読んで呉れている割には、俺の実態を誤解してるんね。」

「またまた、抜かしちゃって、俺は65で、Rちゃんは未だ65には一カ月届いて無いんだぜ。俺だって、65の経験知・経験値で、人を見る目は在るよ。何しろ、俺は『心眼』を磨いて、被写体を観察してるからね。アハハ。」

「やいやい、心眼が出て来ちゃ、俺ぁ、お終ぇよ。人さらいの元締めシンガンスで無くて好かったってもんさね。ギャハハ!!」

 いやはや、<人は時の子、時代の存在。依って、個にして個に非ず。団塊・番から男子高OB>と云った処で在ろうか。新コンビ誕生で、ビール二杯に、たらふく食べて楽しい夕食であった。

 夜は生真面目なSNちゃんは、大船から新宿への電車をメモして渡して呉れる。明日の午前中は、鎌倉の大仏さんを案内して呉れる由。

 明けて、清々しい限りの秋の空である。バックを車に乗せて鎌倉の大仏さんをバックに写真を取って貰った。さてさて、日頃の大戯けを見下ろして、鎌倉の大仏様は、何をお諭し下さる物やら・・・空き晴れの青空の下、汗顔の至りである。ギャハハ~!!

「ほら、此処の蓮池の藤棚のベンチがさ、この前の老夫婦二組の絵の場所なんだ。」

「ああ、そう。此処がねぇ・・・ 鎌倉、横浜に近くて、絵の題材には事欠かないロケーションに住んでるんじゃないの。好いねぇ~、第二の人生を趣味の水彩画を通して、研鑽して行く行くは、個展を開く。好い人生の歩みだねぇ。
 大したもんだ。あれだねぇ・・・お天道さんは、自ら歩む者に、さらりとロケーションとステージを用意為されている。SNちゃん、日本人にはお天道さん信仰が一番だんね。あい~。」

「やぁやぁ、またまた良い事を、さらりと言ってのける。好いね、好いね。あれだ・・・カァちゃん追い出して、老後は二人で共同生活したくなっちゃうね。へへへ。」

 次は健勝寺?とやらを、ナイスバディの白人女性3人組のはち切れんばかりの肉厚ヒップに、生唾物のシングルママ・ヤナさんのヒップを重ねつつ、お寺を拝観する。

 再び、車に乗って<是非とも見せたい>と言って居た竹寺・報国寺に連れて行って貰う。

 境内の奥は、真っ直ぐ屹立する竹林である。その太さと高さは、圧倒されるほどの世界観で在った。鬱蒼と屹立する竹林を眺める様に、茶屋が設けられている。抹茶とサントウ(三糖)?とか云う小さな和菓子二個が添えられて居る。竹林の奥は絶壁状の砂岩に成って居て、其処に三か所の磨崖仏が彫られている。

 参道の脇には5~6体の石像が在って、その中央二体のレリーフは、明らかにガンダーラ様式の仏像で在った。鎌倉武士団が進行した仏派は、禅宗との事であった。本殿階段には報国寺、功臣寺の石碑が建って居た。

 竹林、ガンダーラ様式、磨崖仏、報国・功臣をキーワードに、暫し脳裏に世界史テロップを追って見た次第である。『武士の精神世界』を、コンパクトに現わして居る感じのお寺さんで在った。

  へへへ、中々にSNちゃんも遣るものである。好いお寺を見学させて貰った次第である。

 駅で駅そばを食べて、SNちゃんと別れて新宿に向かう。新宿駅で中央線は、相模原付近で脱線事故、運休との事である。然らば、高速バスで帰るしかあるまい。

 西口に出れば、いやはや電車にあぶれたバス待ち人の長蛇の列である。三時間待たされて、漸くのバス乗りであった。

 旅は非日常体験と云うのであるからして、確かにクルージングも帰りのバスも、これまた非日常の体験なのである。

 何から何までブログ友・SNさんには『至れり尽くせりの大歓待』を頂戴して、<人生冥利に尽きる>の次第で在った。感謝感謝の横浜・鎌倉の巻きで在った。

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大荒れクルージングの巻き
                大荒れクルージングの巻き(9/18/13)
 
 弟から電話が掛って来た。早速、Tに電話をする。
「7時、会社だってよ。」
「あいよ。」

 Tシャツでも買って行く事にしようかと思ったが、結構な分量に為って仕舞ったから、パスする事にした。車にバックを乗せて、弟の会社に向かう。会社には既にKちゃんの車が在った。

「お久し振り。この車で行くの?」
「5人だから、乗れると思うんだけど。」

 弟は未だ仕事から帰って居ないらしい。私とTは年金生活者であるから、毎日がフリーで在るが、現役さん達はその点、辛い処が在る。そうこうして居る間に、会社でシャワーを浴びたと云う通称ブーちゃんが、汗を拭き拭き事務所から出て来た。彼はボラカイ・バカンスの折に、張り切り過ぎてバイアグラを使えずに<下痢ピー>でホテルで、点滴を受けて居た男である。まぁ、今回は女抜きのクルージングであるから、下痢ピーには為らないであろう。へへへ。

 仕事から帰った弟が、シャワーを浴びて着替えて、荷物を積み込んでいざ横浜浅田運河に向けて発進である。途中で釣り具、網を買って、皆ファイト満々である。何しろ、土産はクーラーボックス満杯のアジ、サバ、伊勢海老なのであるからして。

 もう一人の彼は、子供の運動会とやらで、残念至極の不参加との事である。車中では後部席に陣取った私、T、弟の男子番から高のOB会で政治談議、世相談議で、時間は過ぎ去り、良い雰囲気である。途中、PAで食事とする。現役大食漢の弟に、<それしか食べないのか? 腹が減るぞ。>と言われて、二杯目を牛丼とした次第である。

 横浜に入って、ブログ友のSNちゃんからTELが入る。彼は、前へ前へと計画を立てる技術系人間の生真面目さである。運河に到着すると、横浜兄弟の兄さんが出港の準備を一人でして居られた。各自の荷物を積み込んで、弟は早速、船の整備に取り掛かる。機械に長けている弟は、不況で自分のクルーザーを手放して仕舞ったから、年に2~3回横浜組のクルーザーで、松本組を引き連れて神津島へのクルージングを一緒にして居る仲である。云って見れば、私とTを除いては、皆クルージング仲間なのである。

 横浜組との最初の出会いの折に、Tも同行していたから、初対面では無い。船の整備も終わり、定員数16名のクルーザーは広い。前後に寝室、全部にキッチン、中央にリビング、後部にトイレ、シャワー室と豪勢な造りと成っている。
 今回は台風の接近で、台風状況が一番の関心事である。それでも、現代は情報化の時代で、台風の様子が分かるから便利と為った次第である。安全第一を最優先にして、打ち合せが行われる。

 参加出来無いと言って居た横浜組の末弟さんが、仕事を終えた足で遣って来た。スーツ姿で店の帰りとの由。ママさんに美味い焼酎を二本貰って来たと言って、お返しの伊勢海老のオーダーをタンマリ頂戴して来たと云う。

「あれ、今回は仕事で来れないって言って居たんじゃ無いの? あれだろ、女よりも俺達と一緒に居たいんじゃないの。素直じゃ無いね~。」

「違うよ、俺、経営者だから、暇人じゃないからね。でもさ、皆が来ると云うのに、俺、仕事とは言えんしさ。お兄さんも来るって言うし、シェフの俺が居ないと盛り上がらないし。
 Kちゃん、タッカ持って来て呉れた? 治って無いじゃん。如何したの? 俺なんかさ、ベロベロに酔ってるんだけど、シューマイ、美味い焼酎の差し入れ持って来たんだよ。女を振り切ってさ、男の友情最優先なのにさ。松本組は、本当に駄目だねぇ~。
 ブーちゃん、あの島で買った焼酎不味くて、残してあるから、全部飲んで行ってよ。ホントに、顔も拙いけど、味覚もセンスも悪いから、俺、バッチィ奴は船に乗せたく無いんだけどさ。分かってる~?」

「あっ、また始まった。酔っ払いは、早く寝て。ねちっこいんだから。」

 まぁ、こんな風に始まった出港前のクルーザー仲間のじゃれ合いで在る。矢張り海の男達の経験で、小眠を取っての『早や目の出港』と為った。横浜港を抜けて外海に出る。空は灰色雲が低く覆って、台風の影響が見え始めて居る。矢張り太陽の薄い海は、解放感に欠ける。

 伊豆大島までは、東京から120kmである。途中、トビウオの10匹程の群れを見ただけで、カメラを首からぶら下げるSNちゃんには、絵の題材としてのショット数の足しには為らないだろうから、些か気の毒な感じである。台風は小笠原諸島の先に在るらしいが、その影響は、こんな遠くまで来ているらしい。

 それでも大島に来ると、夏の色に変わった。波浮港には台風を避けに東京に向かうと云う役所の大きな船舶が、荷物の搬入の為に一隻停泊しているだけであった。クルーザーを繋ぎ、給油と朝食を埠頭にテーブルをセッティングする。トイレで用足し、洗顔をする。弟は揚げ物屋に串カツ、ハムカツ、メンチカツを買いに行く。クルーザーのキッチンでは、調理師の免許を持つブーちゃんがハムエッグを見栄え好く調理して運んで呉れる。いやはや、何んとも手際の好さである。

 シェフ役の弟さんは、口は悪いが親切で行き届いた御仁である。口とは裏腹の味に煩い末弟さんは、美味いパンをソツ無く揃えて居て下さる。当年63歳と云うから、弟より一歳年長である。船長さんの刺青社長さんは67歳と云うから、67、65×3、63、62が6/8を占める。

 先ずは、大事を取っての早や目出港である。一路東京から178kmの神津島を目指す。この間には利島、式根島、新島が控えて居るから、天候さえよければ空の青、雲の白、島の緑とクルージングのハイライトが続くのであるが、低く垂れ込める灰色の墨雲に、天然の大パノラマはお預けの感で在る。

 後部デッキで、黒潮の通り道に沿ったこれらの島々の遠景を見ながら、地球と云う器は巧く出来上がって居る物だと感心する。台風の影響で、島々の上部には雲が掛り、幾分、心寂しき思いなのであるが、動力を持たない昔の帆船乗組員からしたら、黒潮流れる大海原に浮かぶ島々は、正に安心感の象徴に映って居た事であろう。

 新島と分かれ、黒潮の大河を眺めながら360度の太陽と海風のクルージングに身を置く。お天気さんは芳しくは無いが、横浜港のくすんだ曇天と比べると、数段に好い。

 南洋特有なシュークリームを浮かべた積乱雲の昇りは、天候の具合で灰色がかった小さなボリュームで、海面からスッキリと浮かび上がらせる事無く続いている。気象解説では、台風の形状は、巨大なレコード版の様な形をしているとの事である。これも台風前夜の前触れと見ると、台風の巨大さを想像する事は、人間の視覚の域では到底及ばない巨大さと云う事が、おぼろげながらも想像出来る。

 まぁ、想像出来ない事には、頭のエネルギーを使っても仕方の無い事である。そんな次第で、航行を愉しむ。

 行く手に神津島が見えて来る。神津島の中央は荒々しい絶壁状の火山口である。

 クルーザーは、速度を絞っ入港する。神津港は台風に備えて、漁船は全て引き上げられて居る。さぁ、上陸である。弟達はコマセを買いに、何しろお土産はクーラーボックス一杯の自前調達なのである。前回の盆休みクルージングでは、アジ、サバの入れ食い状態だったと云うのであるからして、夏をキープしたままの神津港埠頭は、航空母艦並の広さで<さぁ、居らっしゃい、幾ら釣っても只よ>と、ど~んと待ち構えて居るのであった。

 さぁさぁ、皆勇んで釣り開始である。短パンに裸、Tシャツで雰囲気こそ、ファイト満々では在ったが、ニャロメ~!! アジのサビキに喰らい付いて来るアジの群れが来ないでは無いか。地元さんは埠頭の最前線に軽トラを止めて釣りをしているが、ぼちぼちムロアジが掛る程度で、釣果に乏しい限りである。粘っては見た物の、コマセも使い果たして、万事休すの次第であった。アハハ。

 クルーザーでは、シェフが腕によりを掛けて、本格的フランス料理に勤しんで居る。後部デッキにテーブルをセッティングして、役立たずの私達はシェフの仕事振りに驚愕の眼差しである。キッチンのガス、ポータブルガスコンロ2台を駆使して、いやはや、その手際の良い事と言ったら、プロ並である。美味い物を仲間達に振舞って、大いに食い飲むのが、クルージングの醍醐味なのである。口と態度は悪いが、実にマメに人を歓待するのに天性の才能を持った御仁である。

「さぁ、これはこうして使って、こう遣って食べてよ。信州の山猿連中には、本当は食べさせたくは無いけどさ。これが横浜のセンス、エレガントさ。皿だってさ、陶器だからね。

 如何? 肉も上等でしょう。肉の種類を替えて、調理法も替えて在るんだぜ。こっちの肉は、これ掛けて、こっちはバターにレモン絞って食べて。それでこの赤ワインで。ニンジンも美味しいでしょ。下地を確りさせてるから。ちょっとしたレストランの感覚と味でしょ。パンはこれこれ。ちゃんと用意をして来たんだから。ブーちゃんはこの不味い焼酎飲んでなさいよ。駄目だよ、こっちの高級焼酎なんか飲んだら、駄目だよ。口で幾ら反省したって、自己責任だよ。俺は下品で、バッチィ奴は絶対に許さないからね。」

「ああ、また始まった。シェフの腕はプロ並みなのに、口が悪過ぎるから、店持てないんだわ。天は二物を与えずって言葉知ってる~?」

「それを言うんだったら、<貴族は食べ、豚は残飯漁り>って云うんだぜ。ご飯の欲しい人は言って、良い米で炊いたんだ。美味いよ。」

「梅干しが欲しいな。」
「駄目だよ。折角、兄さんの手間暇かけた梅干しだもの。兄弟だけで分けるんだ。勿体無い。」
 
 女無しの男だけのデッキ・ディナーは、夏をキープした裸の男連である。そして、還暦組が6人と為ると、刀傷ならぬ手術傷の面々である。胃癌に直腸癌と手負いの男達である。へへ、男の傷は時代と共にメス傷が付けられて行く様である。

 風呂は『名物・神津風呂』との事である。漁船用に水道が敷かれて居るので、そのホースでシャワーをすると云うのである。ホースの下に大きな漁師用のポリ桶が置いて在ったから、それを綺麗に洗って、水を溜めそれをバケツで汲んで身体を洗えば、立派な神津温泉と為る。水は丁度良いぬるま湯の温度で在る。早速、先頭を切って使わせて貰う。

              これが中々に好い具合で在った。

 漁港の隣のビーチでは、ビーチボールの大会が行われて居て、大きな歓声とアナウンスがされている。トイレはその方向に在るから、大分歩いて行かなければ為らない。其処までの間には、奇岩状の長い通路と為って居る。<竜が洞>?とやらの名前が付いて居る。本島は火山島であるから、色的には花崗岩の島である。然しながら奇岩の群れは、灰色の泥岩である。従って、これらは海底隆起である。火山島と海底隆起が同居する様は、自然の摩訶不思議なコントラストを呈している。

 台風の接近を考慮して、クルージングの調整である。夜の漁と為って、それの御手子役をする。フランス料理シェフは、夜中の出港に備えて再び飯を炊き、握り飯の用意を始める。海の男達は、其々に分担と役処をこなしてクルーを回して居るのである。

 空振り空振りの果てに、弟の指図に従って漸くの一匹で在った。握り飯を完了したシェフさんと如何云う訳か・・・コンビに為って掬う。二匹をゲットした物の・・・『下手だね~。』を連発されて、2勝4負の不出来を散々に言われて仕舞った。

 雨が降って来た。嵐を予兆する雨脚である。2時出港を繰り上げて11時出港とする。

 外海に出た途端、来ました来ました。荒海クルージングである。交代で仮眠する事に為って、後退組はベットへ。弟は1時に起こして呉れと云ってリビングを後にする。少しでも寝かせて遣ろうと思い、5分前に寝室に行くと居なかった。凄い揺れであるから、何の役にも立たないロートル組の私、T、SNちゃんは後部寝室へ。

 Tは、エロ本を持って来たから、余裕の読書をするとの事である。その内に、海は完全に嵐状態である。こんな時は、ただひたすらに仰向けに為って居るのが、船酔いを回避する手立てである。そんな心の強がりも束の間に吹き飛んで、棚から物が落ちる、身を起こす事も出来ずに、凄まじい状況に為って来た。いや~、こりぁ大変な騒ぎと為って仕舞った。如何すりぁ、好かんべよ。311並の超ド級の猛襲沙汰である。

 ベットから放り出される、投げ飛ばされる状況に為って、両手でベットの上の棚を握って、必死に耐えるだけである。Tは寝室からリビングに上がる階段に座って、両手両足を踏ん張って居る。ドアのフックが外れてドアがバタンバタンしているが、立ち上がってフックをする事も出来無い。

 ベットの下のSNちゃんはベットの足を両腕、両足で抱え込んで振り落とされまいとして必死である。ベットの上は私一人であるが、下に居る方が振り落とされない分、安全と云う物である。然しながら、身動きなどしたら、ゲロの放散沙汰である。ムカつく内容物の臭気を深呼吸を繰り返して吐き出す。下手に鼻に上げて仕舞えば、一巻の終わりである。

 もう、この頃に為ると全身『脂汗』でぐっしょりである。そして・・・とうとう重度の船酔い状態を示す吐き気と便意の催しが始まって来る。

 動いたら飛ばされる、一気に吐いてしまう。気持ち悪さとの長い長い格闘が始まった。

 顔の上に何か落ちて来た。蛍光灯が割れて落下して来たのである。拾おうにも拾えない揺れの真ん中に居るのである。

「おお、岩だ。ぶつかる!!」

 緊迫した模様が飛び込んで来る。ルッルッルッ、ルッルッルッ・・・船はニュートラルにして、ガガッガガッ、ガガッガ、バリバリバリ・・・スクリューをバックに入れた凄まじいエンジン音に満ちている。ギアがガツンガツンと入って、荒波を掻き分ける様に船体が振動してスピードを増して行く。そして、噴かし音が息を付く様に下火に為る。

 如何やら寸前の処で、衝突は回避したらしい。一気に冷や汗が沸き上がって来る。暴風雨の真っ只中で在る。起き上がる事も出来ずに、エンジン音の状況で経験知にダイヤルを合わせて、船の状況を想像するしか無かった。時計を見て、後どのくらいの時間が掛るのだろうか、頭の中で距離と船のスピードの割り算をして、忍の一字を噛み締める。慌ただしい声に混じって、式根島、新島の声が飛び交っている。

 あの辺りの海域にはとんがった岩礁が二か所ほどある。夜間航行では在るが、名前は知らないが、ナビゲータの様な物が付いて居て、航行出来るのである。それでも、船長さんは目視操船しかして来なかったから、コースを大分逸れて仕舞っていたとの由。

 これは後から弟に聞いた事では在るが、彼は、何と無く嫌な予感がして、早や目に起きて船の見張りに出て居た由。夜中のナビ航行も何度も経験して居るから、レーダーを睨んでの操船には長けている。目視操船とレーダー操船の違いに不吉な予感を抱いたとの事である。

 これも、後でSNちゃんに聞いた話ではあるが、初めてのクルージングのSNちゃんに、<生命に替えて無事に帰港しますから、信じて、安心して下さい。>と言った由。

 途中、船は式根島で2時間程の仮眠を取ったらしい。再び、船は回転数を上げて荒海に出た。私は操船が大分荒ッぽくなったから、弟が替わった物とばかり思って居た。弟らしく強引に荒波にスロットルを一杯に蒸かして、突進、ジグザグ、大波を信号待ちする様に微速、一気に回転数を上げて突き進んで居るなと感じながら、必死で船酔いと格闘して居るしか無かった。

 操船が弟に替わったと云う事で、恐怖は無くなったから、兄弟と云う血の繋がりは、不思議な物である。

 台風は未だ来て居ないのに、これだけの大荒れを呈する大海原を昔の越前船、西洋帆船の船乗り達は、航海をしていたのだから凄まじい限りと思って居た。舵を失ってカムチャッカに漂流した大国屋光太夫、咸臨丸のインテリ侍さん達の太平洋航海のしんどさを、マジマジと噛み締めて居た。

 割れ散った蛍光灯の欠片が、カチカチ、カシャカシャ、ピシッピシッと鳴り続けて居る。危ないの意識は働く物の・・・ 完全にグロッキー状態である。意識は在れど、一切、身動きの取れない脂汗と吐き気との格闘が続く。

 手を伸ばしてカーテンを開けて外を見れば、叩き付ける雨飛沫に、船は波の坩堝に翻弄されている様である。立ち処に、目眩(めまい)がして、ベットに叩きつけられる。

 暫くして、<シェフさんが大丈夫ですか>と聞きに来た。操船する兄貴と一心同体と為っての『兄弟の立ち向かい』で在る。気を張り詰めて、奮闘して居ない限り、船酔いは等しく身に降り掛かる。

 私も、何か手伝おうとフラフラと立ち上がった瞬間、オエッである。

 口に手を当てて、トイレに何回もぶち当たりながら、トイレのドアを開く。便座を開けて、オエッ、オエッ、オエッと胃腸の内容物を無理矢理に、指を舌に押し込んで吐き出す。吐ける物は、全て吐き出さ無いと後が大変な苦しさと為る。辛い事は一回で済ませるのが、私の経験値である。

 粗相の無い様に、便器に吐き出すのも大変な物である。尻もちを何度も付いて、内容物を嘔吐してコップに水を汲んで、口を漱ぐ。好かった。上下の口から同時だと収集が付かない結果と為る。下から出ずに、全て上から出て事無きを得た。

 これで大分すっきりした。後は、ひたすら我慢との戦いである。後顧に憂い無しでは無いが、上門、下門に憂い無しの気分が、落ち着きを取り戻した様で意識が薄らいで行った。

        東京湾に入ったのだろうか、大分揺れは下火に為って来た。

「Rちゃ、珍しいな。大丈夫か。これ、酔い止めだから。飲めば少し楽に為るから。もう少しだ。」

 弟が、薬を持って来て呉れた。ベットの下のSNちゃんは、洗濯物のビニール袋から衣服を出して、ビニール袋に嘔吐したと云う。大変なクルージング参加をさせて仕舞い・・・面目次第も無い。

 クルーザーは、スピードを緩めて浅田運河に無事帰還した。全員で船を洗う。私はてっきり途中から弟が操船して居た物とばかり思っていたのだが、彼も私同様に船酔いに沈んで居たとの事である。

「あれ、そうかい。化け物とばかり思って居たんだけど、やっぱり人間だったか。」

「何言ってるだ、Rちゃだって、完全ダウンは初めてだったぜや。途中で覗きに行ったら、足踏んだって、ベットの棚を両手で掴んでさ。苦痛の顔だったぜや。こんな事初めてだぜ。参ったよ。如何してかな?」

「俺も、それを考えてたんだけどさ。お前さんの船は、丁度好いサイズだったから、揺れが上下に分散してたんだと思うよ。それが、この船は大きいから<横揺れ>だったんだよ。ほら、地震でも横揺れは波長が長いから、大事に為るって云うだろう。そのタッペだと思うんだけどな。時化の航海は、これよりも酷かった事が在ったけどさ、酔わ無かったぞ。」

「嗚呼、了解。多分、その線だわ。相変わらず、分析力は抜群だね。」

 台風は、本土に近付いている。疲労困憊組は、大事に為らない内に松本を目指すと言う。私はSNちゃんの好意に甘えさせて頂いて、横浜二連泊で御一行様と別れた。


心何処・・・ボラカイ旅行記 4、5日目
 <ボラカイ4日目>
 本日は、ホテル替えである。彼女は黙って好くしてくれたので、『皆には、内緒だぞ。』と言って、使い易いペソ札でお礼のチップを渡す。

 ボラカイ・リージェンシーホテルから、韓国資本のホテルを買収してリージェンシーホテルの系列に成ったとの事。チェックアウトと共に、バイバイと彼女達と別れる。

 昼飯はホテル近くの韓国レストランに入る。韓国客で騒々しい。日本に居る時の感覚で、チャーハンと焼きそばを頼む。それが、出されたチャーハンのボリューム感にたじろいでしまった。焼きそばは、コンニャクの様な色をしたキシ麺の倍ほどの太さの麺であった。でも、両方共に美味かったが、もう、喉元まで出そうな膨満感で苦しい事、夥しい。

 今夜のホテルは隣接して居て、まだ新しいし大きい。兎に角、韓国人団体客がどんどん入って来る。チョックインの様子を見て居ると、旅行会社の新婚ツアーとタイアップして居るのだろう。そんな感じで、若いカップルの列である。旅行会社とホテルの連携は、効率的で好いのだが、現代的な新ホテルでも、従業員はフィリピン人である。日本人の感覚からすると、苛々するほど手続きに時間が掛る。

        パチッ、それに南国であるから、蚊が多い。

 部屋が決まらないから、ただ待つしか無い。目の保養としては、好い女は居ないかな~でしか無い。そんな中に、凄いのが居た。丸でモデルか、女優みたいに、目立つ格好でこれ見よがしに、チャラチャラと歩き回って居る。見るからに然程の美人でも無いのに、自意識過剰の顔付と態度である。韓国人の整形手術流行は凄いとの事である。瞼、目、鼻、唇、頬骨、顎と際限が無いとの事である。下衆の詮索観察には、丁度好い。成る程、目と鼻の形は、皆さん好く似ているから、そうなのであろう。

 まぁ、する事が無いから、蚊をパチンと取ったり、ふらふらスローモーな蝿を三匹も退治して仕舞った。本当は、小生意気な自意識過剰コーリャンを叩き潰したかったのではあるが・・・

 やっと、やっとのチェックインが済んで、部屋のキーを頂戴する。今度はフロントから長く歩かされて、プールの横を通って部屋入りである。バックを置いて、バタバタ・タクシーに乗って、土産物のドライ・マンゴ、生マンゴの大量仕入れに全員で行く。マンゴならセブ・マンゴであるから、一軒の店では足らないのである。下痢ピーさんも、漸く回復に向かい同行する。

 明朝は6:30の出発であるから、ホテル横の韓国焼肉店での夕食である。牛カルビが傑作であった。名前は健忘症で忘れてしまったが、酒のつまみの『干し牛肉』の様な代物であった。豚肉も小さく噛み出のある代物で、辛いからいキムチに舌がピリピリした。

 さてと、ビールとストレートの焼酎で、眠く為って仕舞った。一寝入りして、帰りの荷作りでもするべし。部屋は、シングルベットとダブルベットの豪華部屋である。ペットボトルの水を沸かして、コーヒーを飲む。

  はいはい、無用の長物ですがな。アッシャ~、シングルベットで寝まするがね。

<5日目・最終日>
 最終日と云うよりも、長い長い移動日である。腕時計の無い身であるから、早起きが肝心である。従って、一番の早起きと相為った。チェックアウトに行き、部屋にタオルを忘れて来た事に気付いた。熱い南国では、汗拭きはタオルが一番である。

 もう一度、部屋に帰ろうとすると、太鼓腹、口髭の凸凹ガイドコンビに出会う。<ブレック・ファースト>と言う。左様であるか、余り時間は無かったが、長丁場に備えて、少し腹に入れて置いた方が好かろうと考えて、プール横のレストランで搔っ込んで行く。

 フロントロビーに戻ると、先程のガイドコンビが、目敏く食事券を見付けて、サッサと二人で食べに行ってしまったとの事である。ガイドコンビが、車の手配をするのであるから、自分達が食べる余裕が在るのなら、その旨を伝えてお客さん達に朝食を食べさせるのが仕事の筈なのに、いやはや、何事も<個利>に走るのが、フィリピンスタイルの様である。ニャロメ!!

 ワゴン車に全員乗り込む。来た道を戻る長時間ドライブである。夜と朝が逆転して居る分、景色が楽しめる。途中、凄いスコールに遭遇する。山間の小河川は、チョコレート色の激流と化していた。そこを過ぎると長閑な田んぼ地帯が延々と続く。小振りの農耕牛が、雨の中で子牛に乳を飲ませて居たり、水田に寝そべって居たりの長閑な風景が続く。ほう・・・あれが、昨夜の牛カルビの元であったのかと、思わず得心の苦笑いであった。私だけ朝飯を喰っただけであるから、皆は腹が減って居るのだろうなと些か申し訳の無い気持ちでもあった。国内線では、お菓子程度の物しか出ないのである。

 国内線では、私の席は皆から離れていた。私の隣には若い眼鏡を掛けた娘が据わった。コーヒーとお菓子が配られた。すると、その娘が英語で、何やら食欲が無いから、食べて下さいとピーナツとお菓子を呉れた。彼女は如何やら、風邪をひいて鼻を盛んに咬んで居る。使用したティシュを私の紙コップに入れて遣ると、サンキュー、サーと酷く恐縮して居る。ユー、アー、ウェルカム。しか知らないから、そう答えた。

 チャイニーズかと聞くと、台湾人との事である。漢字圏の元胴胞であるから、紙とボールペンで筆談をする事にした。外省人、内省人と書くと、内省人と指をさす。内省人=日本=兄弟と書くと、彼女は嬉しそうに握手を求めて来た。

 東日本大震災・大津波←台湾・日本大義捐金・感謝感謝大感謝!!と書くと、たどたどしい日本語で、日本は私の大好きなお父さんの国と言う。日本には一度も行っていないが、何時か日本に行きたい。それで、日本語を勉強しているとの事であった。尖閣諸島・魚釣島=日本領土と書くと、大きく頷いて居た。そして、私の顔は、とても日本人の顔とは思えない。ハーフかと聞かれるから、この顔は、日本人古来のサムライの顔・ハンサムフェイスとからかって遣ると、驚いた顔をしている。

 すっかり打ち解けてこんな事をして居ると、瞬く間にマニラ空港に着いて仕舞った。メンバーから風邪薬パブロンを貰ってプレゼントする。またまた、握手を求められて仕舞った。彼女は22歳で、台北に帰るとの事であった。

 マニラから中部への飛行機の中では、尿意を催して後ろのトイレに行くと、後部座席には空きが在ったから、窮屈な自分の席から、後部座席に移る事にした。

「此処、良いですか?」
「はい、どうぞ。空いてますよ。」

「お兄さん、日に焼けたね。何処行って来ましたか?」
「ボラカイ。」
「ボラカイは、フィリピン一の有名なリゾート地。お兄さん、好い所でバカンスして来たな。さては、フィリピンに友達いるな。アハハ。」
「これこれ、変な想像をしちゃ行けんわな。俺は、女嫌いで通ってるんだわさ。アンタ、助平だろ。」
「お兄さん、何言うか。私は真面目なワイフ遣ってるよ。子供も日本の高校生、中学生よ。私、水商売してるから、匂いで分かるよ。お兄さん、女大好きの顔してるよ。アハハ。」
 
 歳の頃は50前後だろうか。フィリピーナのオバさんである。人なつこく次から次と話し掛けて来る。私は充分眠った後であるから、お相手仕る。彼女は日本歴19年との事である。名古屋近郊で一生懸命働いて、自分のご褒美として2年に一度フィリピンにお里帰りをしているとの事である。彼女も、私の事をハーフかと聞く。へへ、純度100%の日本人ですがな。加わえて、典型的な日本人ですがな。

 まぁ、21Cはボーダレスの時代であるから、<袖触れ合うも他生の縁>と云う物であろう。さぁ~てと、明日からは、日常に戻って閉じ籠り賄い夫生活にシフト替えである。

                          ボラカイ旅行記…完

 毎度の長駄文とのお付き合いに、感謝感謝の極みでありまする。綺麗な所ですから、フィリピンへのショートバカンスの候補に上げて置くのも、好いかも知れませんよ。

心何処・・・ボラカイ記三日目
 <3日目>
 本日は、ダイビンググループと自由行動グループに分かれての、終日のフリータイムである。朝食後は部屋に戻って、私はホテルのレストランで、ボラカイ紀行記を書きながら、マイタイムを過ごすから、クーラーの利いた部屋でゆっくり過ごして、昼飯頃に来れば良いと伝える。

 私の好色性も回復して、メラニン色素に則った狭道を横からツクツクボーシ、ツクツクボーシのノックに始まって、根元ズッポリのバッコンバッコ~ン横位→グリグリ・クリトリス派の女騎上位→槍縦横無尽の正常位のパターンで、長々と励んで仕舞ったので、小柄なフィリピーナには堪えて居るのだろう。それも、耐久貧困生活者の意地汚さで<遣らなきゃ損・損>の二回戦にまで及んでしまったのである。強豪ロシア女だって、白マグロの打ち果て状態に為るのであるからして、小柄フィリピーナとしては、堪った物では無かろう。
御同情するのが、人の道でもある。従って、体力回復のスリーピング・タイムをプレゼントするのも、性獣男のチン格気配りの内である。
 これは、グリム童話から学んだ『肥やして鱈腹食べる』魔法使いの婆ぁの手法の転用である。ギャハハ~。人格の無いのは、育ちが悪過ぎるから致し方の無い処ではあるが、性獣男とてチン格は少なからず持って居るのである。へへへ。

 レストランのプール際のテーブルで、コーヒーを飲みながら、ホテルのフロントで貰って来たA-4コピー紙に万年筆で、文字を書いて行く。文章に詰まると、双眼鏡で白人女性のビキニ姿に焦点を当てたり、デジカメで下手絵模写のショットを撮ったり、万年筆で大雑把なスケッチをしたりして、紀行文を伸ばして行く。

 朝食客も疎らに為って、レストランスタッフが片付け掃除に掛って居る。プール際席から通り席に移動して書いて居ると、汗が滲んで来て紙に手がベタ付いて来る。切りの好い処で文字書きは止めにする。老眼鏡、万年筆、ペーパーを小物入れに収める。アイスドリンクを飲みながら、煙草を吹かして居ると彼女が遣って来た。

 普段は老母と二人の食卓であるからして、あっさり系の物で済ませて居る。こんな風に朝昼晩と肉中心の食事は、胃に負担が掛って仕舞う。歩きながら適当な所で食べるとして、あっさり系が無ければ、このレストランで野菜、フルーツ系のバイキングの方が得策と思い、昼食料金を彼女に聞いて貰う事にした。

 さて、ブラブラ歩きの開始である。前に来た時に日本食の座って食事の出来る店が在ったから、其処へ行って昼食をしようと思って、人並みに乗っかって西に向かう。途中でダイビングに行った連れを待つお仲間フィリピーナと遭遇して、暫く同席をする。そんな事をして居ると、一行のUさん、Yさんが遣って来て、一緒に昼飯を食べに行こうと話しが決まった。もう一人は?と聞くと、下痢ピーでダウンとの事である。

 あんなに、『女が抱けるぞ。ベロベロオンパレードと舌なめずりをしていた』御仁だったのに、とんだ災難に遭った物である。先ずは、御同情申し上げるより他無い。体調如何では同じ物、同じ行動を取って居ても、スイと足を掬われて終うのが、<生身の人間の不運>と云う物である。

 斯く云う私も、水中り、食中りで二回下痢ピーの惨めこの上ない経験もしたし、風邪が高じて、ひたすらホテルのベットの中で、ガタガタ悪寒と頭痛の中に埋没して、念仏を唱えて居た経験もある。

 昼飯後は彼等と分かれて、好奇心の路地奥のブラブラ歩きが幸いして、表通りとは全く違ったフィリピン街に足を踏み入れて仕舞った。私としては、幸運の興味深々のブラブラ歩きが出来た。

 そんな一角の中に、結構大きな土産物屋があった。お目当ての掛け軸は無かったが、見るからにゾクゾクとする程の原色の色彩に富んだアフリカの民族を描いた絵のコーナーがあった。それは木版を浅く削って些かの浮き彫りを施した処に、ペインティングを施した一種独特な絵画であった。
 こう為れば、土産では無く自分が欲しく為って仕舞う。早速、彼女に値段を聞いて貰い、財布の中身と照らし合わせる。南洋掛け軸とは、然程の値段の違いは無かった。掛け軸よりも、土産物としては此方の方が好かった。

 総じて、店でのディスカウントの幅は、10%で統一されている様である。路上売りのディスカウントも、多分この調子だと統一されて居ると見て好かろう。幾つかのパターン見て居ると、中々の商売スタイルと云って良かろう。それ以上のディスカウントを試みると、必ず、電話をしてオーナーの指示を仰いで居る。そして、<これ以上のディスカウントは出来ない>と云った画一パターンの答えが戻って来る。

 現場の裁量権を一切認めないと云う手法は、大袈裟に言えばスペイン植民地時代から始まるアメリカ植民地時代から継承され続けている白人統治の刷り込みなのであろうか・・・

 此処は異国であるから、何事も偶然との遭遇である。後先の幸、不運は付き物である。へへへ、『通』に為る為には、それなりの失敗学習・授業料は避けて通れない沙汰である。
 尤も、通に為り過ぎると、甘いと見るやトコトン、フィリピーナに自己主張をされて籠落されて終うのが、日本人の弱い処なのである。<子はカスガイ>の日本の諺が、フィリピン転化されると・・・『子は一生の食い扶持』なんて現実が、フィリピン通氏達には真に多く散見される処なのである。通氏と痛氏の違いは、紙一重かも知れぬが、女郎蜘蛛の網に絡め取られて仕舞っては、個人の一大事を軽く野っ越して家族の一大事で御座りまするがな。

 比通氏と悲痛氏との比較論証は、日本人男の大事な予防薬・ワクチン接種と為りましょうや。ユメユメ、日頃の周辺点検は、怠り無き様に連帯致しましょうぞ。決して、この行は、持てぬ男の金無し、毛無し、女無し、止めの甲斐性無し男の『負け惜しみ口上』では御座りませぬ。ギャハハ~。

 此処でも、私は彼女に大いに助けられた。額縁絵を二個買った次第である。それも持つと云うから、YOUはサーバントでは無い。重い方は私が持つから、軽い方を持てば良いと言う。そんな事を言われて、彼女は二コリとするフィリピーナである。

 夜は、初日の<居酒屋>で、彼女と二人で食べる。麺類の茹で具合は、大まかなフィリピン人には難しくも期待出来ない分野と云って良かろう。無難なのは焼きそば、天ぷらがお薦めである。餃子の味は悪くは無いが、蒸す際の水が多過ぎるから、ペケの内である。詰まりは、食感にまでは気が回らない食文化と云った処だろうか。文化の要素としては、論理、効率、感性の総合力が、物を言うのかも知れない。
 マニュアル化が進んだ現代文化に在って、麺の茹で具合へのマニュアル化が無い処が、如何にもフィリピンらしい処でもある。日本のラーメン屋では、タイマーに依る茹で具合のマニュアル化が、一般的なのではあるが・・・如何にも真似はする物の、肝を外して居ても平然としているのが、彼等の国民性なのである。へへへ。

 ホテルに帰って下痢ピーさんの様子を見に行く。彼は点滴中であった。<水に中ったに在らずして、陰水に中ったずら。>とからかって遣ると、<兄さん、笑わせなんどくれ。笑っただけで、ブチョと出ちまうぜ。>とジェットスキーに彼女を乗せて、ニコニコしていた御仁とは別人の弱々しさであった。

 さてさて、明日は同系ホテルへのホテル替えである。今夜を最後に『日比合コン』は、最終日と為る。今夜もツクツクボーシ、ツクツクボーシで、雁首並べて<果て寝>でも致しましょうかね。水を飲んだだけでも黄金水噴射さんは、真に不運この上ない御仁である。然しながら、同じ日本人として『気は心』であるから、彼の分も確り励みましょうかね。イッヒッヒ~。

※バイアグラの効能は凄いとの事である。仲間内の話を聞いて居ると、現役世代も一度味を占めてしまうと、癖に為るとの事である。それで合点の事があった。何しろ、彼等は大量にビール、焼酎を飲んで居る。私は古いタイプの自然派であるから、アルコール分の摂取は下心の前に、セーブするのが習い性と為って居るのだが・・・いやはや、需要に対して、S氏が女房殿に激しく糾弾されても、仲間を慮っての調達役に徹する訳である。


心何処・・・ボラカイ記・2日目
                  ボラカイ記<2日目>
 私の場合、環境が変わると、如何しても朝が早く為って仕舞う。腕時計の電池を入れようと思っていたのだが、普段は腕時計の世話に為って居ない生活を何年も続けて居ると、腕時計の必要性など皆無の沙汰と為って仕舞う。そんな事で、忘れて来てしまった。シャワーを浴びて、スキンヘッドと髭を剃る。ブレック・ファーストと声を掛けると、彼女も起きてシャワーをしに行った。

 夜中の物凄いスコールに洗われた植物の瑞々しさが、太陽の眩しさに映えて、流石に南国の雰囲気である。彼女の名前を教えて貰ったのだが、脳軟化症の健忘症行進中であるからして、YOUで通す事にする。冷房の利いた部屋から一歩出ると、矢張り暑い。

 朝食場所は、ホテルとは別棟の海を望む通りに面した吹き抜けのレストランである。ホテルのロビーから通りに出ると、ブーゲンビリアの赤い花、ピンクの花が綺麗に咲いている。通りには、切り出された太い竹が、無造作に置かれている。竹は此処では重宝な資材らしいが、こう無造作に置かれて居る処が、フィリピン気質なのであろう。

 早速、帽子売りが近付いて来て、買え買えの催促である。OKと言うと、頭に被らせて、これが似合うと焦げ茶色の帽子を売り付けられた。彼女も頷いて居る処を見ると、まぁまぁの口なのであろう。値段を聞いて、彼女が高いと言ってディスカウントをして呉れる。彼女にも帽子をプレゼントする。

 こんな風に、言葉の壁はクリアするのが重宝である。正直言って、言葉を解しないと云うのは、リラックスの妨げとも為るからして、一概に買春行為が倫理・道徳的側面だけで一方的に糾弾される必要は無いと、私は考えている。
 幾つかの観察をして、信用出来ると思えば、私はホテルのキーを彼女に預け放しにする。言葉は通じないが、何かと気の付く彼女は出しゃばりもせずに、自然な形で気を配って呉れるから、有難い存在である。それに時計の無い私には、彼女は時計掛りでもある。

 朝食では、一つ面白い光景を見た。襟柄の入った白いランニング、これまた洒落た縁取りの白い短パンの白人系の50代の男が、ホテルのユニホームを来た男3人に、刺々しいまでの表情を込めて、食事をしながら盛んに撒くし立てて居る。差し詰め、ホテルの経営者か上得意客なのかも知れぬ。ホテルユニホームの中年男3人が神妙な顔をして聞いて居るから、経営者なのだろう。
 古いフランス映画で恐縮ではあるが、ウーゴ・トニャク、ミッシェル・セロー主役の<MR.レディ MR.マダム>と云う数々の賞を独占した大、大爆笑オカマチック・コメディをご記憶の紳士淑女は居られ様か・・・そのレディ役を熱演したのがミッシェル・セローであった。精悍な顔付の気の強いオカマ役の表情仕草が、恰も私の目の前で再現されているのである。

 状況から勝手な推測するに、怖い経営者から色んな不備な点を指摘されて、幹部社員がお叱りを頂戴して居る図なのではあるが、洒落た高価なランニングと短パンが、如何にもオカマチックに見えて終い・・・下衆の妄想が勝手に肥大して終う。コーヒー、ジュースのお代わりして、長々と観賞させて頂いた次第である。

  遺憾いかん・・・私が集合時間に遅れてしまっては、身内の恥である。

 部屋に帰って、海水パンツに着替えて、デジカメ、双眼鏡、財布の入った小物入れも、彼女が持って管理をして呉れる。ホテルでバスタオルを受け取って、ホワイトビーチからバンカーボートに乗り込む。

 丁度ドラゴン・レースの大会との事で、今回のホテルはリーズナブルなホテルが満杯状態で、貧民には格上の高級ホテルと相為った。その手漕ぎボートのドラゴン・レースの模様を見ながらの海行きである。いやはや、その速い事には、驚いた。浅い穏やかな海である。昼を食べる小島に渡る前に、シュノーケリングである。シュノーケリング・エリアには、何艘ものバンカー・ボートが停泊して、其々の船を中心にシュノーケリングが行われている。海が好きな我々兄弟は、早速、自前の水中眼鏡に唾を丹念に塗って曇り止めとして、海へ・・・

 何年振りかのシュノーケリングではあるが、矢張り海の中の世界は、興味深々で飽き無い世界である。

「やっぱり、海は好いねぇ。家に閉じ籠ってばかり居させちゃ、本当に申し訳無く思って居るんだ。パンかソーセージを持って来るのを忘れちゃったけど、まぁ、フィリピン・ガイドは気が利かないから、しょうがないけどさ。思う存分、河童を遣って呉れや。」

※小太りデカ腹、小柄の頭の禿げ上がった男とスポーツ刈り、口髭男のガイドコンビは、兎に角、調子が好いだけの好い加減男達である。時間には平気で遅刻はするし、食事も自分の好きな物をバンバン頼んで、ビールもガンガン飲んで仕舞う。端から『もてなす』と云うガイド精神の欠片すら持ち合わせて居ないコンビなのである。然しながら、好く言えば打たれ強いと云うか、意に介さないと云うか、へこたれないと云うか・・・憎めない明るい人なつこさが在るから、得な性格である。そんな事で、弟に怒られ放しなのではあるが、一緒に居ると真に従順な応対をしているから、此方が笑って終うのである。
 
 まぁ、こんな事を始めると、完全に河童兄弟であるから、殆どは海に浸かり放しに為って仕舞う。Aも同じ血が流れている様で、中々大した物である。魚影はそんな事で、撒き餌が無い為に薄かった物の、海水温が暖かい分、楽しめた。海底に薄紫のフグの仲間が沈んでいたのが、面白い発見であった。聞くと彼も気付いて見ていたとの事である。先のバンカー・ボートには、白人女性の若いビキニの白い尻が見えた。白らばくれて、泳ぎ始めると、ご舎弟様がこのスケベ野郎とニヤリとして居る。

 遺憾いかん・・・ハズバンドの若さと体格に、向こうまで泳いで行く気力が萎えてしまった。シュノーケルを彼女に譲って、私は双眼鏡の焦点を合わせて、目の保養と致した処である。嗚呼、歳は取りたく無い物である。

 ランチ場所の小島に渡る。前に来た島とは違う様であるから聞いて見ると、その島は、あの島だとの事である。それで、島の裏に回って見ると、素晴らしい島の風景が見えた。静かなライトブルーの海に、樹景の濃い小島がポッカリ浮いて居る。丸でタイムスリップして来た海賊の隠し小島の様な・・・正しく映画のシーンに最適の趣のある島であった。

 ランチタイム後は、バンカーボートでボラカイ島一周の海行きである。島は溶岩で誕生した様である。随所にある洞窟は火山洞窟で溶岩の川が流れた痕の名残なのであろう。そんな洞窟を見て居ると、コバルトブルーの光沢のあるズングリした鳥影の飛翔があった。カワセミと確信した。切り立った緑豊かな島で、穏やかな浅い海である。穏やかで浅い海を湖に準えれば、川に棲息するカワセミが居ても、何ら不思議では無い。そんな環境と思って、大いに納得した次第である。

 船は進んで、島の表に回り込んで来た。これからは島の様相は打って変わって、ホワイトビーチが姿を表して来る。ボラカイの中心部は、未だ未だ先には為る物の、こじんまりとしたホテルがポツリ、ポツリと建って居る。

 そんな中にスペインの建築家アントニ・ガウディを意識した奇っ怪な曲線のホテルがあった。ボラカイの象徴は、椰子の林とホワイトビーチである。ホテルは、そんな椰子の林とホワイトビーチをホテルの所有としているらしい。
 島の自然植物相から見れば、椰子の林は植林の産物である事が分かる。島の西側は、突き出た溶岩流痕が長いビーチを形成出来ずに、ホテルとホテルを遮断して居る。

 喧騒を嫌ってゆったりとプライベートなリラックス感を味合うのを良しとする観光客には、贅沢過ぎる程のロケーションと言って良かろう。こんな島一周の海行きをしないと、ボラカイ島の全様は知らずに終わった事だろう。 最初にボラカイに来た時に感じた好印象が、中国・韓国観光客に侵攻されて過密にして騒々しくなった物である。そんな観光地への失望感に、島の西半分を見て、私としてはボラカイは二分される近未来が、想像出来てホッとした気分であった。

 島の中心部を過ぎて、海の浮かぶジェットスキー・エリアに向かい、ジェトスキーの発着場に乗り込む。各発着場に依ってコースが決められているらしい。その識別は海に浮かぶ赤と白のブイなのであるが、私は弟のジェットスキーで海を縦横無尽にすっ飛ばしていたから、赤ブイから白ブイを回って居たら、指導員のジェットスキーが物凄い勢いで走って来て、しこたま怒られて終った。(信州弁では、ドヤシ上げられて仕舞った。)

 尤も、一切現地語が分からないから、へへへの誤魔化し笑いである。1周した後は、彼女を乗せてもう一周して発着場に戻って、皆の終わるのを待って居た次第である。

 団体行動が終了してシャワーを浴びて、このボラカイでの買い物と決めて居た『色彩鮮やかな原色の南洋掛け軸』を探しに行く。店の在った場所を探すが、無い。彼女が居るから、聞いて貰うのではあるが、<知らない><もう、その店はクローズした>の応えが帰って来るだけである。それでも、彼女は嫌な顔もせずに、『南洋掛け軸』を探し回る私に付き合って呉れるから、有難い女性である。

 大分探し回って、殆ど諦め掛けて居た時に、私はとうとう見付けたのである。これだから、フィリピーノの言う事は、当てには為らないのである。店は、前の店とは違っていた。掛け軸は、店に展示して有るだけとの事である。その中から、倅とTの土産として2本を買う。もう一本を買うと思ったが、財布にはペソが足りなかった。夕食の集合時間が迫って居た。ホテルに戻って、ペソを補充して夕食後に行く事にする。

 夕食は、通りに店を開いている野外レストランでする事になった。客は通りに出されているロブスター、エビ、魚、肉を買って、野外テーブル席で料理されて来るのを待つのである。当然に、フィリピンスタイルであるから、料理が出て来るまでには相当な時間を要するし、時々催促をしないと出て来ない事があるし、注文した物が出て来なくても、料金は確り請求されて来る事は、好く在る事である。詰まりは、日本人に感覚からすると、真に以って、好い加減なお国柄なのである。

 従って、遅い、好い加減さが、堂々と罷り通るから、いきおいビール先行の食事と為る。ロブスターはココナツ風味の味付けが施されて居るから、余り日本人の味覚には合わない。日本人からすると、折角の食材が『勿体無い』の感すらして仕舞う。それでも、焼き魚は中々にして美味い。旅慣れて来ると、異国の好い加減さに腹を立てるよりも、日本人の正確さに気付いて、優れた社会を構築して居る日本国に誇りを持つしか手が無いのである。

 夕食後は、掛け軸を買いに行く。歩いて居ると、もう一軒にも掛け軸が売られて居るのを見付けて中に入ると、買おうとしていた絵よりも良い絵が在ったから、それを買う。

 明日はダイビングをするグループと終日の自由行動グループに分かれると云うから、私は終日自由行動とする。

 さて、当然に夜のベットインである。彼女は、友達から借りて来たと云う日本語の本を持って来て、日本語の先生役をさせられて仕舞った。教科書の1頁を1時間程掛けて、遣らされた。17歳で結婚して、一人の子持の20歳と云う。へへへ、私は家庭教師の経験は無いが、結構、勉強を教える役が回って来た物である。

 昔から勉強は嫌いの口であったから、そんな苦役から解放される為に、要領良く遣るコツなどを身に付けて居た様である。彼女は知的好奇心が旺盛な性質なのであろう。真面目に声を出して、復唱するから可愛い物である。彼女は、私より数段頭が好い様である。何事も詰め込み過ぎたら、過ぎたるは及ばざるが如しで、物には為らないのである。頭の歩留まりを確かめて、終了とする。

 さてさて、夜も深まって来た事でもあるし・・・ 私は好き者の口であるから、万国共通の体話交換をした次第である。

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