旅行編、ショート編。旅行編は、エロチィック・エッセイ。ショート編は、日常些事のショート・エッセイ。創作編は、短編小説。マイ・ギャラリーは、各編の自作挿絵の収録。

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心何処ーショート 吾身は、覚えるより慣れろの実際知?
             我が身は、覚えるより慣れろの実際知?(5/5/14)
 五月五日は子供の日。朝は景気の好い花火の音が上がっていたが、生憎のお天気さんで沈下してしまった。いやはや、陽気の不意打ちで雨に風の騒ぎで在る。昨日は、バイク騒音に、コンニャローメであったのだが。

              まぁ、儘為らぬのが、世の中と云う物である。

 自転車で買い物に行こうと思っていたのだが、大分の雨に、毎日が日曜日のロートル生活であるから、早々に止めとした。お天気が悪いと、途端に寒くなるのが、五月初旬の気象と云う物である。とほほ、困った物である。

 本日は日課の外に出るのが、憚れる外気である。そんな次第で、二畳小部屋でポータブルヒーターを点けての読書タイムを余儀無くされて居る。

 漸く540頁まで進んで、後130頁にまで漕ぎ着けた次第である。『国民の道徳』と題名は打つ物の、滔々と云うか、延々と云うか・・・そこに書かれて居る事は、経済を縦糸or支柱に、人間の本源たる精神の拠り処なる物を解き明かし、言及する哲学史の解説本で在ろうかと思われる。

 私の様な体育会系のスカンポ脳味噌の持ち主では、完全な消化不良本なのを『百も承知のチョイス』だったのは、間違い無い次第でも在った。とほほ・・・。

 大先生が出来の悪い生徒に滔々と或いは延々と書き進められて下さった高邁にして雲を掴む様なインテリ領域に、辟易として、何度も断念の囁きが続いた。まぁ、それでも、この二日間の読書タイムは、浅学非才の脳細胞にも、<門前の小僧、習わぬ経を読む>の例え同様に、書かれて在るのは正真正銘の日本語で在るからして、<覚えるよりも、慣れろ>の『実際知』の門前を経て、大先生の熱弁が漸くにして聞こえ始めて来た次第でも在る。

 私は生まれ変わって努力をして見た処でも、絶対にインテリには為れないが、鋳型の中で<踊らされる大衆人>では無く、辛うじて『自己脳で行為する庶民』の末席に居るのだろうとの安堵感に、自画自賛を旨とする私はニヤニヤして居る次第なのでもある。

 まぁ、この本は平成12年の刊行であるから、TPP以前の時に書かれた物である。この本が、現在ならば先生のTPP批判は止まる処を知らず、現日本人に対する痛烈な罵声が炸裂して居る事だろう。

 断続する小雨に、軟肌の緑を風が吹き捲る。濡れた粗砂がひっそりとして、山ツツジの赤を浮き立たせて居る風情は、インテリ為らずとも庶民にも分かる日本的風情の一つでも在る。

 それは石を並べた島地に、半月状の広がりを浮かべた黄緑の若葉を帽子に、今を盛りのライトレッドの花を衣装に纏った『日の下の静かな佇まい』にも見える。雨に濡れた敷き砂は海でも在るし、縁側を仕切る石の並びと小砂利は一方の大陸にも思えるし、百日紅から続く野放しの濃い緑の群生は、別の大陸にも見える。

 山ツツジの横には歳老いた柊(ひいらぎ)が、枯れ枝に復活の小さな芽吹きを覗かせ、それに間隔を開けた楓は、目覚めた樹勢を密集の葉重ねのボリュームに表し、風に戦いで居る。赤いツツジ島の背後には消え入る様な古ブドウの皺枯れた細枝から、支柱を与えられた再生の芽が、幼葉を伸ばし始めている。

 先生が目指す敗戦後のアメリカニズムに<ええじゃないか踊り>に狂奔した日本人の衰退し切った道徳の萌芽が、復活の芽吹きをするのか、私が待ち焦がれていた日本の精神の揺り戻し期に突入するのか。

 これはインテリの慧眼には到底及び付かない精神の覚束無さでは在るが、小さいながらも庭と云う小スペースに、市井の庶民としての想念の一端を形にする事に依って、願わくば私、公を考え、国の国と国の国際、国内の治世、歴史、文明、文化との係り合いを、マスコミに毒されない程度で、自問自答して行きたいとの密やか為る空間と考えている次第である。

    国民の歴史、国民の道徳、国民の教育の長編は、三部作の構成を執っているとの由。

 歴史上、英国と日本は、面白い類似性を持つと云う。吾が町内の民宿旅館からの白人観光客がこの近辺を散策して居る姿を見る。民宿の半分の宿泊客が、英国からの旅行者であるとの由。
 紳士道の英国も武士道の日本も、伝統の国柄である。そんな彼らが、四畳半横の生活道に、極普通に入り込んで来る様は、私にとっては好い構図に見える。

 異国の日常に興味を持つ精神構造は、含蓄に富む次第でもある。伝統と云う自国の文化に、相対的な自信が無ければ、目立たぬ物への好奇心、親和感など生まれ様も無かろう。国民性、生活態度は、歴史と云う長い時間軸の中から、自然と醸成されて来る物なのだろうから、彼等の好奇心と、何故か分からぬ親和感の根源を探ろうとすれば、それは取りも直さず自国と他国の歴史との比較と自問自答の時間を持つと云う事なのだろう。力みの無い散策と云う物は、視覚と思考が相俟って歩を繰り出す散歩思考を云うのだろう。

 斯様に庶民は、歴史を刻んだ国柄を受け継ぐDNAの中で、それを五感として感じ取り、インテリ層はインテリとして、思想、思考、制度、哲学の歴史散策をして、学問的に深究して行く。
 こと左様に、庶民は庶民として感じ取り、インテリはインテリとして解説と真理を説き、庶民を導き照らす。従って、日本の庶民たる者としては、年に何度か、何年に一度かは、腑抜けた精神の禊として、高尚な活字世界の門を潜らなければ為らないのかも知れぬ。

   ソソ、サクラテスか、プラトンか、皆、悩んで大きくなった。で在りまする。へへへ。

 還暦半ばを通り越して、知恵熱で風邪でも引いたら、本業の賄い夫が出来なくなって終う。我が身は妖怪様を筆頭に、金華鳥9羽、金魚4匹、メダカ20匹、野菜はホウレンソウ、チンゲンサイ、シロカブ、シュンギク、ミツバ、ネギ、キュウリ、ナス、トマトと続き、野イチゴ、庭の花、木と、それなりの共同体を構築してる次第でも在る。

 遺憾いかん・・・道産子農耕馬の本分を確り保守すべく、スキンヘッドの消化不良熱を冷まして参りましょうかね。イッヒッヒ~!!

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心何処ーショート 一応の終了を見る。ヘロヘロ為りや。
              一応の終了を見る。ヘロヘロ為りや。(4/22/14)
 此処へ持って来て、パットしないお天気さんの連続である。下衆の物好きで、韓国客船沈没事故の模様を具(つぶさ)に見て居る次第である。

 歴史とは日々を重ねて来た国家、民族の記録の側面であるからして、国家、民族の過去と現代を往復書簡の様にウォッチングして置かなければ、歴史=過去として扱われ、過去と現在が断絶して仕舞う結果と為る。そんな結果では、ハッキリ言って歴史の意味が無く成って仕舞う。

 歴史の記載は、概して地中から発見される土器の欠片の様な物で、欠片、欠片を合わせて、その不足分を石膏で補填して、全体像を復元して陳列ケースに収める様な物であろうか。歴史事象の記載は、恰も飛散した土器の欠片の残置でしか無い。欠片、欠片の隙間を補填して、全体像を復元する作業は、過去と現在を繋ぎ合せるウォッチングと方向性の模索作業と云っても良かろう。

 個人に履歴書・職務経歴書が存在すると同様に、国家、民族には切っても切れない歴史の重みが存在する。人が歩けば、其処に足跡と云う路が続き、その道は、過去と現在を繋げて居る方向性・宿命と考える事も出来よう。

 妖怪様とテレビ報道を見ながら、朝食後のお茶を飲む。ヤクルトママさんのコールを受けて、さて、遣って見るか。路は続けなければ、繋がらないので在る。<千里の道も一歩から>との先人の訓えも在るからして・・・。

 本日は四畳半東の駐車スペースから、寝室の八畳の雑草だらけに為る通路に小砂利を敷き詰めて、見栄えを良くする苦役お遊びである。お天道さんの無い肌寒さには、道産子農耕馬のアイドリングが頃合いでもあろうか。

 知恵の在る者は知恵を出せ。知恵の無い物は汗を掻け。その二つも無い者、出せぬ者は去れ。・・・はいはい、御先祖様、遣らさせて頂きまする。

 好い処の大半を掬って仕舞ったから、長靴で水に浸かった小砂利をスコップで掬って、プールする。水に浸かった物を運び上げて居ては、疲れるだけである。掬って小山にして置けば、水気が下に落ちると云う寸法である。過積載は、沈没の元である。

 そんな運び込みをして居ると、お向かいさんの旦那が、整体から帰って来た。家のフェンスのブロックに腰掛けて、男のよもやま話と相為った。話題は如何しても韓国船沈没報道に行って仕舞う次第である。沈没事故報道は、きっと全世界に逐一報道されて居るのだろうが、報道されればされる程、韓国は今まで隠して来たお国柄の実態を曝け出して、『信用失墜』の様相で在ろう。

 嗚呼、告げ口外交の手前、恥ずかしや!! 天に唾吐く者の哀しさでも在ろうか。南無阿弥陀仏・南無阿弥陀仏。

 さてさて、水気も大分除去されて来た事でも在るし、ヒィ~コラ、ひぃ~こら運び上げて、自画自賛のセンズリでも掻いて見ましょうかね。へへ、8杯運び上げて、自重の転圧を施して、得心の一服で在る。

           へへへ、何処ぞの国の船長さんとは、大違いである。ギャハハ!!

 縁側の通路は、程良い粗砂が無いから、したくても出来ない次第である。一年は長い。川の恵みを、ボチボチ川の増水を待っての結果待ちで良かろう。それにしても、家をぐるりと敷き詰めたのであるから、吾ながら、大した物である。

   へへ、是を称して、陰日向無く、黙々と遣れば、結果は自ずと着いて来るの証左である。

 ヤクルトママさんじゃ無いが、美味しそうなカレーの匂いで、カレーライスを二杯平らげた馬力の恩恵かも知れぬ。3時近くに為って仕舞った昼では在るが、疲れ過ぎて、食欲も湧かない次第であるから、そばで済ませる。

 小一時間、昼寝をして体力回復をさせる。これで、庭弄りは、当分する必要は無いから、通常の散歩運動で平常値に戻れば良い。


心何処ーショート あれあれ、春は如何したや。
                 あれあれ、春は如何したや。(4/21/14)
 朝のアイドリングに、庭に出る。サツキの横にサクラソウが何株か散らばって咲いて居る。昨日、整理した個所が殺風景であるから、其処へ移植する。

 移植ゴテで根元を穿って見ると、<ほぅ~、地下茎はこう遣って、株を増やして行くのか>と、得心する次第である。

 苺の蔓(ランナー)は地上に伸びて、着地した個所から根を出して、ホップ・ステップ・ジャンプと拡がって行く習性を持っている。ツタ、ツルを持って居る物は、葡萄でもそうであるが、そう遣って群生を拡げて居る。地上を這うツタ、ツルと同様に、地下茎も見えぬ地中でツタを伸ばしていると云う事なのである。

              園芸素人であるから、こんな発見も愉しい物である。

 本日は、どんよりした肌寒い日であるから、休養日とする。風呂を沸かして入浴後は、妖怪様に譲り、郵便局に払い込みをして来る。来た序でであるから、個人スーパーまで足を伸ばして駄菓子などを買うと、先輩さんから<良いネギだから、買って行って植え付けろ>とのお達しである。

 今日は働かない心算では在ったが、『土地の仕来たり』にどっぷり浸かって、四季の作物に生活の知恵を励行するのも悪くは無い。冬の蓄えネギも、何だかんだと言ってほぼ使い終えた次第でもある。

                 さてさて、何処へ植えたら良い物か・・・。

 家庭菜園の畝の端に植えると、半分以上残って仕舞った。ホームセンターの園芸コーナーでネギ苗が売られているが、萎びたひ弱な物で、結構な値段が付いているが、農家の持ち込むネギ苗は瑞々しく、一束480円の安さである。

 玄関横の餌吹き場所を整理して、2列に植えればスペースの整理にも為る。スコップで掘り起こして、小石を拾って早速植え付けて見る。物はローカルブランド・松本一本ネギであるから、成長すれば立派なネギと為る。ネギの価値は、白く太い茎であるから、深植えにしなければ為るまい。

 為れば、如何見ても土不足である。本日は休養日の予定では在ったが、これまた、川土運びをする羽目に為って仕舞った。とほほ。

 さてさて、作業終了である。昼は野菜整理の為に、カレーでも作って置くと致そうか。台所仕事をしながら、昼はサツマイモを茹でると同時に、茹で卵にして、昼とする。

 朝と昼のテレビでは、次から次と韓国客船のハチャメチャ振りが、表に出て韓国の実態・実相が白日の下に晒されている始末である。

 戦争中の船舶リース代返還訴訟で、日本の鉄鋼タンカーが差し押さえられたと云う中狂裁判所判決と云い、お隣毒亜圏の遣る事は、正にハチャメチャ、出鱈目コーナーのテンコ盛りである。日本人なら漫画の世界でも、こんな発想は出て来ないゲテモノであろう。

 頭脳回路が全くの古代蛮勇割拠の低レベルの儘にも拘わらず、生活手段は文明国を気取って居る様は、滑稽にして、哀し過ぎる。言って見れば、現文明を彷徨い続ける流民の姿でしか在るまい。

 そんな低レベルの毒亜圏の端に位置する日本は、飛んだ被害国の様である。この地政学的位置は、四の五の言っている場合では無かろう。毒亜圏とは一切の聞く耳持たぬ『村八分のスタンス』で行くしかあるまい。移民受け入れなんて、世迷言を言う経済人、政治家は、即刻毒亜パージで、お引き取り願わなければ為るまい。

 日本は日本人だけの物では無いと云う似非人道主義者は、毒亜圏に永久移住して貰わなければ仕方あるまい。

『リンゴ樽に腐ったリンゴが在れば、全てのリンゴが腐る。』『堤防も、蟻の一穴から崩壊する』の喩えも御座りましょうが。

 信ずる事から始まる日本の社会は、何千年と続いた縄文人の同心円から生まれ、培養されて来た自助・共助・公助の賜物で在りましょうや。

 日本の歴史とは、そう云う物で在りまする。そして、歴史を学ぶとは、年代、年号を諳(そら)んじる前に、核心を学び知ると云う物で在りましょうや。へへへ。

 他人に厳しく、自分に甘いと在っては、社会規範も、法も構築出来はすまい。船長たる職務の何たるかも学ばず、いざと為れば真っ先に離船するなど、人間もどきの精神異常者の所業である。経験則以上に、一連の毒亜国行動から演繹的に導かれる結論は、<異常者には、一切惑わされるな!!>の真理でありまする。

    毛バリもテーパーラインも用意したのに、あれあれ、春は何処ぞへ雲隠れした物やら。

心何処ーショート 嗚呼、冗談抜きで、良く働いた物だわさ。
             嗚呼、冗談抜きで、良く働いた物だわさ。(4/18/14)
    
          雨との予報では在ったが、小雨にして申し訳程度の<御湿り>である。
「今日は、何をする?」と言われて、雨も止んで仕舞ったから、働けと云う事で在ろう。スタバトーク前に通路の川砂敷きを繋げて仕舞うと、長靴・軍手・剣スコ・バケツを持って川に下りる。

 完成した砂敷きを足を踏み締めて、人間転圧をして行く。そんな事をして居ると、医者から帰ったと言うお向かいオバさんに声を掛けられる。暫し、ご近所さん立ち話の結論が、<今まで構わ無過ぎたから、遣れば一気に綺麗に為る。やっぱり、それだけ歳を取った証拠だ>と言われて仕舞った。

 へへ、小まめに持久力で進める女族と、溜めに溜めた宿題を馬力と根性で開始する男族との性差の違いとも言えなくは無い次第でもある。

 一切、反論出来ない真実の御言葉である。まぁ、それでも独力で短期間で遣った物である。誰も褒めて呉れぬから、此処は得意中の得意で『自画自賛』の一服で小奇麗に為った雰囲気を愛でるしか無い。

      見たか、吾が実力の程を~!! 脳ある鷹は、爪を隠すんじゃい。イッヒッヒ。

 毒亜韓国の客船沈没事故では無いが、世界のブランド品メード・イン・ジャパンの中古品を改造して、出港3時間遅れを取り戻そうとして、航路をショートカットさせて、座礁・沈没事故を引き起こして、事も在ろう事か!! 乗客を差し置いて、救助されたとは言語道断の無モラルの大闊歩でしか在るまい。

 黙々と男たる者、道産子農耕馬に徹して、費用掛けずに、五体を泣かす為り。全て人力で事を為すロートルの頑張り様は、軟な精神と体力では賄えないのである。毒亜国如きが、逆立ちしてもヤオヨロズの神々がお住し、世界に名立たる縄文人の血を受け継ぐ日本には、追い付かないのである。ギャハハ~!!

 ラジオを聞けば、日本の逸早い救難援助申し出に就いても、<梨のつぶて>との事である。韓国国是の親日罪などと云う日頃の排日・反日・告げ口外交が祟って、日本の進んだ海難救助に、宜しくお願いします、ご助力、傷み入りまする。の小学生でも言える素直さが無いのであるから、呆れ果てた国状である。

 国民の生命よりも、政治のメンツが最重要命題と云うのであるからして、救い様の無い非合理国家で在ろう。

 天に唾吐く者、自分の唾に倒れる。排日・反日・告げ口外交に、国滅びると在っては、何をや言わんかでは在るが、日本とても、限時憲法9条守って、国滅びるの危惧も在る次第でもあるが・・・。

                  さて、スタバトークお誘い電話である。

 本日、打って変わっての肌寒さである。肉体労働で汗を搔いた身に粗相が在っては、申し訳無い次第である。股引を履いて、上に一枚羽織る。外で、草むしりなどをしながら、車を待つ。

 おやおや、マツバボタンの零れ種から、特有の小さな小さな茜色の発芽が一杯で在る。今年も夏は、マツバボタン回廊が目を愉しませて呉れる事であろう。

「そうか、雌ジョービタキは帰ったか。晩秋が見物だな。それにしても、此処は環境が好い。家の横に、只の釣り堀が在るんだからな。孫の情操教育も大変だが、土手の石コロを埋める位、川砂を運び上げなくちゃ、駄目だぜや。あい~。」

「馬鹿野郎が、他人事だと思って、其処まで遣ったら、俺ぁ死んじまうわね。」

 スタバ二階席は、満席で在る。女子高校生らしい三人組の馬鹿笑いが、ケタタマシイ限りである。本日の議題は言わずと知れた韓国客船の座礁沈没事故である。

 好色ヤクザもどきのロートルコンビは、『一応の常識人』であるから人種差別デモで、日頃の鬱憤晴らし等はしないが、毒亜国に対する扱け下ろしは、得意中の得意分野である。

「三時間の遅れを取り戻そうと、海図開いて定規を当てりぁ、海図には海深度の記載も在るずらい。あれかい、船長、航海士は、当てずっぽうで最短距離を操船するのかい? 信じられ無ぇ民度だわな。あい~ 。」

「何しろ、『有銭無罪』って、お国柄だから、国家資格の航海士・機関士って云ってもさ、国際標準にぁ、到底及ばない代物じゃ無いのかね。その内、上げた拳の下ろし所が無く成って、メードインジャパンに全部の賠償金を要求して来るんじゃ無いかね。何しろ、特殊な頭脳回路の国民性だからな。あい~。」 

 もうもう、在る事無い事、平気の平左で言いたい放題のスタバトークと相為って仕舞った。まぁ、是とても詮無き事で、歴史教科書、靖国問題、従軍慰安婦の強制連行・性奴隷、戦後個人賠償、排日・反日教育に告げ口外交が、止まる処知らずのお下劣状態で燃え盛って居るのであるから、因果応報の証左でもある。

 大惨事では在るが、事故の詳細が明らかに為るに付けて、『むべなるかな』の人災事故の様相が、徐々に明白に為って来た経緯もある。<仏師、仏を彫って魂忘れる>の毒亜国文化の酷さが、炙り出されて居る様な物でも在る。

 現代は物質文明とは良く揶揄されるが、精神の真っ当さを忘却して仕舞った者には、『物質文明の逆襲』が来ると云う必然性が理解出来ない様では、本末転倒の世の中と言わざるを得まい。安易・便利・大規模の手段使用にばかり腐心して、物質文明の目的を履き違えて仕舞っては、本末転倒の報いを受ける羽目に陥るのが、物質文明の怖さで在ろう。

 車中でパッパタイムをして、ホームセンター、スーパーでの買い出しに向かう。Tの爺様も、季節の変わり目で体調が思わしく無いとの由。巻き寿司と稲荷寿司、串団子を買って、手抜きの昼とする。Tは実の付いた苺苗を買って行くと言う。

                  おや、Tの車は何処だったかな・・・

「オイさんも、歳だなぁ~。ホーンを鳴らして遣ろうと思ったけど、それじゃ『失礼』に当たるから、見た居た。嗚呼、歳は取りたかぁ無ぇな。あい~、一人に為ったら如何するだい?」

「あいあい、しゃ~無ぇせ。世を恨んで、儚なんで、一人寂しく成仏するだけだいね。五つ木の子守歌でさ、<花は何の花、ツンツン椿。水は天から貰い水>さね。」

「そうかい、そりぁ、ご愁傷さまで。」

 どんよりとした寒さで、いっその事、雨でも充分に降って呉れればと思うのだが、雨は降らずの雲行きである。まぁ、それでも物は思い様で、疲れ癒しには頃合いのお天気さんでも在る。いやはや、冗談抜きで良く働いた物である。へへへ。


心何処ーショート 火病国が『用日』とは、開いた口が塞がりませんがね。
       火病国が、『用日』とは、空いた口が塞がりませんがね。あい~!!(3/17/14)
 
 いやはや、韓国=朝鮮民族とは、凄い脳構造と為って居る。昨日、偶々見た<そこまで言って委員会>に『用日』為る言葉を見て、朝鮮ひいては中狂国の所謂<毒亜圏脳>の異常さには、笑いが止まらなかった次第である。

 読んで字の如くで、日本を利用する事で、韓国経済を立て直すべきと云う火病権化大統領・パク・クネに対する『経済人の悲鳴』に違い在るまい。

       言うに事欠いて、<用日>とは驚天動地の造語である。笑止千万の噴飯物である。

 中華思想を拠り所にする毒亜圏に於ける思想は、儒教である。毒亜圏儒教に在っては、日本国は、中狂、朝鮮、日本で、第三位と云うか第三世代の位置付けで在るから、祖父母、父母が、出来の好い孫・子にし放題の事をしても許されるし、目下の者は、目上の者の、どんな理不尽な要求にも、決して逆らっては為らないとする論理、倫理思考なのであろう。

 いやはや、これではチンパンジーの世界と、何処が違うのかと云いたい物である。この程度で在っては、嘗てJAPAN IS No.1と云われて居た時代に、ハリウッドが大俳優チャールトン・ヘストン主演で大ヒットを飛ばした『猿の惑星』以下の猿脳思考と云わざるを得まい。猿の惑星はご存知の通りで、猿=日本で、日本を揶揄する作品で在った事は明白な意図で在った。然しながら、C・Cは、名優で在ったから、到着した星が地球で在った事に、落胆して科学文明の両刃の剣を呪う演技を見せて居た次第でも在ったのだが・・・。

 斯様にして、人間のジェラシィ、傲慢などと云う物は、真に以って厭らしくも素直な物でもある。人間の汚物は、オブラートに包み埋めるしか、理性の発現は無いと思うのだが。余りにものストレートな物言いは、下品にしてエゲツ無い代物である。

 幕末、明治維新の文明開化期には、尊王攘夷から開国富国強兵路線の必要に駆られて進路を大修正した必然の歴史が、日本には在った。<西洋列強の植民地化は絶対阻止すべし>で、『和魂洋才』と云って、日本人は黒船、西洋軍隊、岡蒸気の驚天動地として映った西洋文明に対して、その一大摂取を敢行したのである。

 強者と弱者の倣いで、<不平等条約の下>でも、自主独立を維持して、西洋文明を和魂洋才の下に吸収し尽くして、東洋初の西洋列強国の仲間入りを果たした日本の和魂洋才の目的が、『用洋』で在った。それは間違い無く、明白な国家意思で在った。

 幕末の志士、維新の先人達が、和魂洋才では無く、<用洋>をスローガンに掲げたとしたら、現在の日本は決して無かったと思う。『名は、体を現わす』と云う大名言が在る次第である。そして、藍より出でて、藍より青しの<出藍の誉れ>と云う言葉も在る。

 利用するの言葉の中には、上から目線の態が在る。日本が和魂洋才に躍起と為って居た頃には、中国清朝の時代には、洋務運動(進んだ西洋技術を取り入れて、殖産興業を活発化させて富国強兵の道を拓く。)が在ったし、朝鮮には日本を倣って金玉均の朝鮮近代化の運動も在った。(金玉均の師が福沢諭吉でもある。) そして、それが失敗に終わった後に起こったのが、逐洋斥倭(西洋と日本を排斥する)の農民を巻き込んだ東学党の乱(火病の乱?)である。

 私に言わせれば、中華思想国が近代化に乗り遅れた真因は、その火病国体質に在ったと観て居るのだが・・・。

 大航海時代以来、500年に及ぶ白人支配の世界に在って東洋の東端の日本が、大国ロシアを打ち破って、白人支配の世界に一穴を作った。有色人種の希望の星と為ったのが、日本国であった。

 オスマン帝国では、日本の明治維新に範を採ったエンヴェルト・パシャが、近代トルコの父と云われ、有数の親日国と為って居るのは、良く知られて居る処でも在る。インドではチャンドラ・ボース、ネール首相、パール判事が、インドネシアではスカルノが、日本を模範として居る。

         私は、これらの国々に『用日』思考が在るとは思われ無い次第である。

 中国、朝鮮半島の中華思想の縛りが、<上から目線の虚勢を張って仕舞う>から、幼い子には、暗黒眼鏡の色が濃過ぎて、『就学の妨げ』に為って居るのである。総べからず、何事も習う為には無垢の心が必要と為って来る。

 そもそもが、知る事の前提たる真似る→真似ぶ→学ぶ→知る→行うの真摯な学びの態度が無いから、単なる真似るの段階にも拘らず、用日を口に出すのであるから、チンパンジー以下なのである。

<能ある鷹は爪を隠す>で、その工程、行程時に在っては、生徒の本分を忘れずに精進すれば、結果としては自ずと、藍は藍より出でて、青よりも濃しの『出藍の誉れ』を世界から、拍手を以って、歓迎、尊敬されるものだろう物を。

 いやはや、火病国の体質を暴露して余りある新造語である事か。21Cはボーダレスの時代とも言われて居るから、協調性が求められる時代でも在る。それには、2000年の長きに渡っての中国支配に依る火病体質を治癒させて行くのが先決である。

     先頃、日本最大の鶏を検索して見た処、<天草大王>なる鶏を見付けた次第である。

 天草大王は明治中期に熊本県天草地方で作出され、その巨躯と肉質のよさが珍重されたが昭和に入って絶滅。残された1枚の油絵と僅かな文献を基に復元された「原種天草大王」を利用して2000年(平成12年)に開発された肉用の大型鶏。2004年に地鶏と認定され、熊本県下はもとより博多、大阪、東京にも出荷されている。(ウィキペディアより抜粋)

 天草大王は24年を掛けて、7世代の淘汰に淘汰を重ねた復元固定種との事である。毒亜圏の火病撲滅の原種復元には、純粋淘汰の手法を採ったとしても7世代=7×30=210年を要すると為ると、私見としては奪毒亜と云うのが、最善の方法では無かろうかと思う次第である。

           火病国が、用日とは、空いた口が塞がりませんがね。阿保臭~!!

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