旅行編、ショート編。旅行編は、エロチィック・エッセイ。ショート編は、日常些事のショート・エッセイ。創作編は、短編小説。マイ・ギャラリーは、各編の自作挿絵の収録。

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心何処ーショート へへへ、二匹目のドジョウは居なかった。
       へへへ、二匹目のドジョウは居なかった。(5/20/13)
         
         人間の脳作用とは、真に以って面白いものである。
 昨夜は無性にラーメンと餃子が食べたく為って、雨の中、夜の10時過ぎに車で行って来た。帰りにコンビニで西岸良平の<鎌倉物語>を買って来た次第である。然しながら、胃袋の小さく為って仕舞ったロートルには、腹が張って如何し様も無い膨満感で在る。布団の中に入って、雨の音を聞きながら、西岸ワールドの頁をニヤニヤして捲って居た次第である。

 私は日課の家庭菜園見回りから、葉野菜を持って家に入り、台所仕事をして居ると・・・

 ドヤドヤと人が入って来る。何事かと思って見て居ると、その後ろに見覚えのある顔で在る。ナンジャラホイ???

「先生、此処が噂の民宿ですか。」
「はい、どうぞ、そちらの部屋に行って下さい。」

「おやまぁ、何時から政治家女史に為ったんだい? 音大出て、銀行員に為ったまでは、風の噂で聞いて居たんだけど。」

「うん、色々有ってね。市民活動して居る内に、何時の間にか政治家に為っちゃったのよ。噂を聞いて、覗きに来たのよ。まぁ~、スキンヘッドで!! でも、間違い無くRさんだわ。良く似合ってるわよ。何十年振りかしら、元気そうじゃないの。私も、おバァちゃんに為ったでしょ。ウフフ。」

 おいおい、如何為ってるんだろうね? 老母介護の時間潰しに、歳の離れたロシア女を女房に持つ『ぶっ掛け屋』なんて食堂の亭主の話なんぞは、何篇か打って居る身ではあるが、民宿のオヤジなんて話は打った事も無い次第である。府に落ちない再会で、首を傾げている私では在ったが・・・。

「適当で好いから、ご飯に、お味噌汁、漬け物に、生卵、焼き海苔、それに焼き魚で十分だから。女手が無かったら、私が手伝うから。好いでしょ。」

「あ、そう。良く解らん話だけど、そっちにはそっちの立ち場が在るんだろうから、仰せに従うかね。民宿のオヤジか。分かった。じゃあ、人数分の葉野菜でも抜いて来るか。」

「相変わらず、物解りが早いのね。好いわよ。一緒に行きましょう。」

 いやはや、世の中には可笑しな話もある物だ。彼女は日本人放れした大柄で色白、彫の深い美形さんで、私より一歳下で在った。

 やっぱり、好い女は、歳を取っても好い女ですがな。小さな家庭菜園で、シュンギク、白カブを腰を屈めて並んで採ってると、白いのっぺりとした額、高い鼻、薄く小さな口、細い髪、胸元の白い膨らみなんかも、歳に応じた肉付きで、好い風に歳を重ねた物だと感心すると同時に、才女さんであるから、政治家稼業もソツ無くこなして居るのだろうと感じられる次第である。

「あなたも、色々有ったみたいね。鋭さが影を潜めて、とても包容力のある感じで、好い感じで年輪を重ねて来たって感じ。」

「ああ、そうかい。<孫にも年輪>とは、昔の人は、巧い事を言ったもんさ。アハハ。」

 彼女の顔を見ながら、為るほどねぇと思う。人間には、其々、好みの顔、タイプと云う物が在る。振り返って見ると、男女の仲は一本の敷かれたレールの様な物で、諸般の事情でその時々に於いて、好みの女性が現れる各駅停車が人生模様なのかも知れない。彼女の面影が、何人かの女性達にオーバーラップして見えるから不思議なものである。

   そんな夢から覚めてのニヤニヤ苦笑をして、さて、起きるべしであった。

 雨が浸透した大地に、緑が勢いづいている。へへ、嬉しい事に、ミツバの幼生を幾つか見付けた。本日は、フサフサしたシュンギクを初収穫して、お浸しにして朝食の一品とする。色付いたイチゴも、ラッキー7の収穫であった。

 折角、好い夢を観たのだから、ホップ、ステップ、ジャンプと朝飯前に一振りと助平心を伸ばして、長靴を履いて露原で暫しテンカラを振った次第では在ったが、空振りで在った。

 あそこに大物が居るのであるが、スーと二回ほど毛バリに浮上して来るのだが・・・糞っ垂れが。後が不発で在る。しゃ~無い。老母様に飯を食わせるのが、吾が仕事である。手がアブラハヤの生臭さに染まっては、朝飯が不味く為る。釣れる時は、馬鹿でも釣れる。釣れない時は、粘っても釣れずである。時間とチャンスは、漬け物にする程ある。へへへ。

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心何処ーショート 終日の雨は去って、快晴の輝き為り。 
               縄文に倣って、ジョロ散水。
                  縄文に想い馳せて、ジョロ散水。_001

             終日の雨去って、快晴の輝き為り。(5/12/13)
 昨夜は縄文夢奇譚のイメージを重ねて、日課の家庭菜園ジョロ散水の図を描き遊んで夜を過ごして居た。<絵遊び>と云う言葉が在るのであるから、白紙の中に一本の線が引かれ、それが次の線を引く。引かれた線に次の線が足されて、形を作る線が継ぎ足されて行く。

 当然に、頭の中に確りしたイメージが在る訳では無い。一つの形が、イメージ、バランスの中で、幾つかの形を作り出して行く。この過程が、絵遊びの面白さなのかも知れぬ。一応の形が出来て線を万年筆で準り、ゴチャゴチャした鉛筆線を消しゴムで消して行くと、線画が完成する。色配置の躊躇(ためら)いを色鉛筆で薄く付けて見る。色が決まれば、色塗りを濃くして行く。線と色に依って、絵が顔を見せて、見る人に何かのイメージを提供する。

 絵遊びは、その過程で先ず自分と遊び、見て貰って他と遊ぶ。是、自他二重の遊び絵の面白さと云った処で在ろうか。終日の雨日の深夜に、<縄文に想いを馳せて、ジョロ散水>の戯け画の完成と云った次第である。

 今朝は、年に何度かの『好い夢』を見た。ブログの師と仰ぐひまじん兄貴が、一緒に映画を観に行こうと来宅したのである。了解とばかりに老母に断りに行くと、何と何と・・・若い母は、お茶を入れて、私が支度をしている時間をニコニコと接待をして居て呉れるのであるから、驚き桃の木状態であった。

 その内に見掛けない幼女が登場して、ひまじん兄貴の前に座って居る。何処の女の子だろうかと見て居ると、その女の子は相当な人見知りの強い子の様である。人生の達人・ひまじん兄貴と極度の人見知り幼女。これは面白い2ショットであるから、果して、兄貴は<如何に幼女に対するのだろうか?> 其の儘、見て居ると・・・・

 ひまじん兄貴の手招きで、その子は兄貴の胡坐の中にチョコンと座って、コックリコックリの頷きから、何やら話をしている。私を見ると、兄貴に耳打ちされたその子は、胡坐の中からスクッと立ち上がった。そして、母の置いて行った急須に湯を注いで、私の湯呑に、たどたどしく並々と茶を注いで呉れたのである。

 私は<お嬢ちゃん、ありがとう。>と言って、湯呑一杯の茶を溢さない様に八分目程に飲んで、湯呑を置いて、大した物だ。・・・・と兄貴を見る。

 兄貴は只、自然体の穏やかな笑みを浮かべて居るだけで在った。その穏やかな目は、『この子は、只の人見知りだけじゃないよ。好い物を持っている女の子だよ、人一倍の好奇心の強さが、マイナスに作用しちゃってるだけで、ねぇ~。本当は、優しい子でしょう。』・・・そう、私に語り掛けて居る様な笑みで在った。

 一目見て、女の子の心の中に入って行って、女の子の持っている好い物を引き出させる力とは、如何なる<周波>なのだろうか・・・と嬉しい感想に浸って居た。其処で、夢は終わって仕舞ったのではあるが・・・

 本日、日曜日であるから、ラジオを胸ポケットに日課の家庭菜園観察である。終日雨にじっくりと平等に潤った大地である。雨に洗われた緑の初々しさは、快晴の空に眩しい限りである。チンゲン菜を間引きして、ハムと油炒めをして朝の一品を確保すべしと始める。

 ラジオでは政党討論会が始まっている。微党乱立が祟って、6党だか8党だか知らんが、公職選挙法見たいに一人一票宜しく、一党一人の平等意見応酬劇であるから、事情を知らない外国人から見たら、安倍総理の歴史観は、圧倒的少数意見と聞こえて終う事だろう。

 それに司会・行司役のNHKも野党的であるから、国民多数意見の自民党が、1/7、1/9の丸で『四面楚歌の形』で在る。いやはや、全く奇妙としか言わざるを得ない<錯覚誘導の政治ショー番組>で在る。

 自由・平等・博愛の精神も大事な<現代価値>の基本では在ろうが、平等自由の私権の衝突ばかりだと、家族・組織・地域・国家のスケールメリットが発揮出来ないでは無いか。公と私の区別を持って、国益の御旗を立てて、グローバル世界に伍する為には<国論の喚起、涵養>が必要だと思うのだが。国家・国論の求心力を求めずして遠心力ばかりに、『党利党略個利個略』の旧態依然たる政党討論などして居る場合か、内外を取り巻く経済・政治状況は、遠心力を脱して求心力に向かわねば為らない危機を孕んで、飽くなき綱引きが目まぐるしく展開されているのではないか!!・・・とラジオを切りたく為る心境である。

 拠って立つ政党支持率を考えて、国政レベルの論を展開して呉れれば、拝聴するに値するのだが。然しながら、彼等は充分に自分達が拠って立つ政党支持率を自覚し過ぎる程自覚して居るのである。従って、国政に無責任と言える程の『唯我独尊の政党色』を我鳴っているだけの<微党乱立の道を行く事無かれ主義者>でしかあるまい。万年少数野党で在ればこそ、『言うだけ番長』は光彩を放つ。然しながら、<噛み付くは易し。国を護るは難し。>の実力無き政権党の国家運営の悪弊は、三年三カ月の民主党政権を見れば、どんな馬鹿でも学習して仕舞ったのである。

 身の丈に合った野党に復帰して、気が楽に為ったのだろうか?・・・好くも抜けシャーシャーとほざくものである。いやはや、この程度の国会議員意識、レベルなのであるから、当選して仕舞えば、国会議員の先生職業は気楽な物だと嘯いて居るのであろう。

 どの道、後二か月もすれば、参院選挙で大勢が決まる。NHK政党討論の四面楚歌ショーと民意のギャップの程が、白日の下に晒されるのである。然かも、出口調査とやらで投票締め切りから、一時間もしない内に当確速報が蔓延するのであるから。

 吾が身は落語長屋の熊さん、八っつあん程度であるから、民意から<遊離>した思想議員さんも議員さんであるから、その言動も自由と思うが、選挙に落ちれば民意から『隔離』されるのであるから、それを指折り数えて待つだけである。ギャハハ!!

心何処ーショート ああ・・・疲労困憊夢ですわ。
           ああ・・・疲労困憊夢ですわな。(10/5/12)
 昨日の夜散歩は、好く歩いた物である。初めは些か寒い感じで在ったが、歩いて居る内に体温が程良く上昇して、ついつい長歩きに及んで仕舞った次第である。そんな事で、夜長の時間を、YouTubeで昔懐かしいプロレスの名勝負動画を次々に見て居たら、大幅な夜更かしに為って仕舞った。

 きっと<肉弾相打つ意地の張り合い名勝負集>の刷り込みで、今朝は重い夢の中からの生還であった。疲労感満載の目覚めであるから、ゲンナリである。

 ラジオを聞いて居れば、竹島、尖閣の海は、連続する台風並みの暗雲垂れ込める『日本侵略の波高し』の昨今である。きっと、そんな事が影響して、私は疲労困憊の中国戦線の兵隊の一人で在った。

 若い頃の暇潰しの歴史傍証の一環として、戦争エピソードの特集本で読んだ事が在る。そんな『稗史の真実』が、この処の騒々しくも不埒千万な反日中狂国・反日韓国映像とオーバーラップして、軍歌の麦と兵隊、戦友、異国の丘・・・etcの感傷満載の伏線も作用して居るのであろう。全く酷い夢に引きずり込まれて仕舞ったのである。

 場面は有ろう事か・・・砲煙燻ぶる篠突く雨の中国戦線の中の前線部隊である。登場人物ゼロのセペア色の世界で在った。

 相手は、馬賊・匪賊の延長線でしか無い中国軍である。現代風に云えばベトコンの様な軍服を着ない民兵の様なゲリラ兵を相手の苦戦に次ぐ苦戦の中に居た。中国では、それを『便衣兵』と呼ぶそうである。日本の様に戸籍に則って、赤紙の招集令状が下って連隊で然るべき軍事教練を受けて、戦地に送り込まれる。そんな一連の軍政など一切無い『兵隊狩り』の様にして連行されて、丸で消耗品の様に前線に送り込まれて居たのが、中国軍の歴史的伝統で在ったとの事である。

 従って、軍事教練も施されずに砲弾炸裂し銃弾飛び交う戦場に置いて、軍律・軍紀など有ろう筈は無い。<英国のぼろ儲け・三角貿易>宜しく、アフリカの奴隷海岸で一方的に刈り出された黒人達が、奴隷船で新大陸米国に次から次へと荷物の様に送り出された。征服王朝の中国では、南部の綿畑で奴隷労働を強制された<黒人奴隷達の様な扱い>だった様である。

 不条理・非人道的連行に在って、人間の極自然行動は当然の脱走である。不条理に際して、圧迫者の利益を優先させる馬鹿は、一人たりとも居ないのは当然の成り行きである。戦闘に為れば、逃げる算段をするのが自然の選択肢である。従って、兵士の兵嚢には逃げる時の服として、住民から盗んで来た衣服が忍ばせて在ったと云う。従って、民間人の服=便衣、便衣兵=ベトコン・ゲリラと云う図式なのである。

 そんな繰り返しであるから、戦線離脱退却を阻止する為に、中国の軍隊には『催戦隊』為る物が在って、後ろから鉄砲を打たれるのである。軍隊を国に忠誠を誓う統率の取れた軍事組織と錯覚して仕舞うのは、そもそも大きな間違いが在るとの指摘で在った。

 刈り出され、無教練、前線連行の衣食住の大半が<現地徴用>と為れば、それは軍服を来た馬賊・匪賊であるのは、自明の理にして、連戦連敗の沙汰であるのは、当然の帰来であろう。然しながら、現代最強軍の米軍がベトナムから撤退し、ソ連軍がアフガンから撤退したのも、軍服と云うユニホームを来た正規軍が、ユニホームを着ない便衣兵=ゲリラ兵に依って、戦争の泥沼化に誘われて精神をズタズタにされての『ノイローゼ撤退』に追い込まれたと云う図式であろう。

 ルール対ルール無視、常識対非常識の個別戦闘に於いては、ルール無視、非常識に軍配が上がるのは、古今東西の例を引き合いに出すまでも無い処でもあろうか・・・ 
 個別と全体とでは所詮次元の異なる処でもあるし、ゲリラが勝利したと云っても、個別から全体統合にステージが移行すれば、今度は個別同士の主導権抗争で、長い混乱対立の内乱状態のステージに向かうのが、人類史の通例の様である。

 そんな思いの中での、敵味方の死体がゴロゴロ転がる、砲弾燻ぶる篠突く雨の泥濘の中で在った。もう、私の身体は鉛の様に重かった。それでも神経だけが過敏であった。

 中国人全体が便衣兵に見えて、何時何処から鉄砲の弾が飛んで来るのか・・・神経が疲弊に疲弊し切って居た。私は考える事事態が面倒で在った。

 このまま、目を閉じれば無の世界、死の世界の安息が得られる。半分、そんな誘惑が耳元で囁いて居るのではあるが、絶対にそんな誘いに首肯出来ないと云う意地だけが、周囲の気配、音を嗅ぎ付けようとしている自分が居るのであった。

 頭の片隅に、これを称して、<生への拘りなのか>と自問するのではあるが。それは違うと否定する自分が言う。そして、これが動物だと云う自分が居た。其処には、思考も哲学も不要の生きている心臓の鼓動が在った。

 砲弾、銃弾の途絶えた燻ぶりの戦場に、死臭を嗅ぎ付けて、野犬達が何匹も現れて、死肉を喰らう音を伴為った『おぞましい光景』が拡がって居るだけで在った。痩せこけた野犬が、死神の様な冷たい目で私を見て居る。ツバを吐き付けたく為る、嫌なぞっとする死臭のこびり付いた冷血の目で在った。

 フン、弱肉強食か。私は握った拳銃を犬の眉間に向けて、事務的に引き金を絞った。眉間を貫通して、野犬は呆気無くすっ飛んだ。絶命の痙攣が四肢を震わせ止まった。私は泥濘(ぬかるみ)の泥に腰を置いたまま、腹巻きから油紙に包んだ煙草を取り出して、半分湿気った煙草にマッチを擦る。

      スゥ~と肺に深く吸い込んだ煙草の煙を、フゥ~と吐き出す。

 善い悪いの思いは、何も無かった。弱肉強食とは、こんな物なのだろうと思った。弱肉強食は、余りにも刹那的であった。ただ、それだけで在った。私には、友軍を探す体力は残されては居なかった。雨を凌ぐ、そして寝る場所が欲しかった。少し、寝ないと神経がやられると思った。

 煙草が、砲弾の燻ぶり、火災のきな臭さ、死臭を消して呉れて居た。煙草の灰を落とす気力も無く、咥えた煙草を肺に吸い込み、鼻から二条の煙にして吐き出して居るだけである。それは、墨絵の中のスゥ~、フゥ~の単調な呼吸で在った。体力の消耗は、ただ目前に在る墨絵の戦場跡を力無く捉えて居るだけである。

 私は戦後世代である。戦後の戦争文学為る物も、若い頃は多少は読んだ。そんな若い時に感じた想いとは違って、戦争と云う極限状態に在る人間に去来する思いも、人其々と知った。今現在居る私は、野犬同様の動物的反射行動をしているだけの存在であった。

 ただ、疲労の淵に没したかった。没の中で、野犬の餌食に為るも、これ<弱肉強食の動物の倣い>でしかあるまい。没も無も、これ即ち安息の淵でしかあるまい。

           目覚めは、こんな長い夢からの脱出であった。

 いやはや、好物で在ったプロレス名勝負などと云う動画に、とことん付き合って寝そびれて仕舞うと、スカンポ脳のモザイク迷宮の扉がバタンと開いて、暗く身動きの出来無い迷宮に引きずり込まれて仕舞う物である。

 普段、私のスカンポ脳は、空き部屋だらけなのであるから、カランコロンの妖艶牡丹灯篭でも好かろう物を・・・只一人、戦場跡に取り残されて仕舞えば、十八番の白人金髪女性への妄想も叶わぬでは無いか。第一、休息の眠りが、疲労困憊の意識朦朧の鉛の重たさと云うので在っては、全くお話に為らぬでは無いか。

          実に、後味の悪い物を見て仕舞った物である。

 斯様にして、政局の不安定振りは、個人の妄想夢にも多大の悪影響を及ぼすのである。国民の生命・財産、安全安心の国民生活を守るのが政治家・施政者の重大使命であろう。国民生活には、当然に明るくて気持ちの好い勃起・勃起の妄想夢も入って居るのであるからして、真面目に国務に励むべしで在りまするぞな。

 さてと、風呂にでも入って、寝直しでもしなければ頭がシャキッとしなかろう・・・

              へへへ、やれやれの段である。


心何処ーショート 吾が夢メカニズム考
              吾が夢メカニズム考・・・(8/10/12)
 自室のテレビは地デジ適応で無いから、ナデシコジャパンの観戦はしない。その代わり、ラジオを細く流して居るから、耳に入れば応援する心算で在った。

 後半30分辺りから聞く事が出来た。女子サッカーは金・三連覇アメリカ、銀・日本、銅・カナダと為った。再放送の試合は、老母の部屋のテレビで見ると致そうか。オリンピック種目と為って、5回の内4回がアメリカの金と云うのであるから、ワールドカップ優勝に続いて、快挙中の快挙である。

 その後、ラジオ体操のビジネス展望を聞こうと思って、少し寝るのを待って居た。本日の先生は森永卓郎さんとかで、良くテレビに出る先生であるから、触りの辺りで眠って仕舞ったのである。ビジネス展望は、15分程度の番組である。

 15~20分を、完全に眠って居たのだろう。7時のニュースを始めて居たから、私はラジオを切って眠りに入った。少々腹冷えの感じであったが、もう動くにも為らず、朦朧とする思い世界の中に沈んで行った。

 私の部屋にお客さんである。それが、俳優のWさんであるから驚いた。何やら、副業を求めて居るとの事で、意見を求められて居た。夢の中の話であるから、論理的な話など殆ど記憶には無い。会社の秘書の様な女の子を連れて居た。

 熱い夏であるから、普段着のWさんはランニング姿であった。学生時代空手をしていたと云う事である。為るほど肩口の筋肉は、年の割には結構逞しかった。この歳に為ると、有名俳優さんと向かって居ても、別段の高揚感も無く、どの程度の御人かなと冷めた目で見て居る自分が居た。

 帰りのドライブで、何処か涼しい所は無いかと聞かれたから、<適当な清流があったら、車を奥に進めて清流浸りでもして行くと、良いアイデアが浮かぶかも知れませんよ。>と言って、車を見送った。

 私が外に出ると、場面は変わって、奥深い清流の流れる場所に居た。清流を挟んで山裾に鉄道が在って、私が出て来た所は山間の古びた木造旅館で在った。川は急な清流では無く、緩やかな流れを呈して居た。緩やかな流れは、三段階の落差を以って緩やかな小さな流れを呈して居た。何か、時空を遡った様な・・・懐かしい光景であった。

                   私は思い出した。

 三段階の流れに、私は大きな水槽を沈めて魚観察をしていたのである。イワナ、カジカ、コメットの水槽を沈めて、三槽の魚達がどの様に水槽の上部から出て、自分達の住処を作り上げて行くかと云った観察である。

 シュノーケルを着けて、私は流れに任せて水中を見て行く。水中の水槽は、水族館の水槽の様に大きく為って居た。水槽の中で大イワナが、ギョロリと私を見て居た。

大中小を一杯入れて置いたカジカ槽の中には、カジカの姿は無く、アユの姿が有った。

 コメットの槽には、見事に成長したコメットが泳いで居た。紅白の地には、黒が混じり錦鯉がコメットの優雅な長い尾を持った素晴らしい姿であった。そして清流に揉まれ育った様に、野生的な精悍さも持ち合わせて居て、神秘的ですらあった。

 夢は此処で終わった。ラジオでは七時半を告げて居た。夏の朝日が、部屋の温度を上昇させて、些か汗ばんでの目覚めであった。

 私は幼少の頃より、夢を良く見る性質である。眠りの深浅の狭間に、直前の視覚残滓が夢の像を構成させて、その切っ掛けが潜在意識に働き掛けて、モザイクの夢模様を現わす。

 夢の作用は、程良い体温の高まりと相関する・・・そんな理屈付けをして<夢のメカニズムに遊ぶ事>が、多々在る。其処で、私の疑問は、果たして夢と云う物の所要時間とは如何程の長さなのか・・・と云う点であった。

 夢は睡眠時の極当たり前の脳細胞の働きに依って生じる物で在り、夢から5分以内に起き無いと夢の記憶は意識されないとの事である。そんな事を少年時代に聞かされて、自分の体験と比較して、一々納得して居たのである。 そんな事で、夢の反芻・分析は私にとっては、ライフワークの様な興味深さを持ち続けている次第なのである。

 還暦半ばにして、漸く巡って来た夢見の時間スパンを得たのである。寝てなど居られ様か。寝不足に迎合して終ったら、貴重な夢サンプルは砂上の楼閣を洗う波の様に、跡形も無く<無>にして終うのみである。『記すに勝る記憶無し』が、私の経験値でもある。

 俳優Wさんのランニング肩口の筋肉の盛り上がりは、オリンピック陸上100、200を制したボルトのスタート台に着く肩口の筋肉の盛り上がりの残映である事は間違い無かろう。水中への行動は猛暑下での川浸りでもあるし、何時かは夢奇譚で水中話を打って見たいの思いと、南洋小島でのシュノーケル遊びの残滓模様でもあり、巨大コメットは、四畳半同居人の水飛ばしコメットの拡大版であろう。

 これらの映像拝借並びに潜在願望と夢見の導入温度の問題は、それなりの経験値上で蓄積されて来た部分であるから、然して新しい発見では無い。

 記して置かなければ為らないのは、完全に眠りに落ちて居た15~20分の時間と其の何分か後に夢の世界に入って居たと云う事である。仮にラジオを切って、眠りに落ちたのが7:10前後で、無夢の熟睡期が15~20分程度だと仮定すると、寝汗のもどかしさに目覚めたのが7:30を回っての事である。大雑把にその間の時系列を追って引き算をすれば、7:30-7:10=20分。20分-15~20分(無夢タイム)=5~0分と為る。0分では、夢は見れないのであるから、夢見タイムは、計算上5分前後と為るのだろう。

 夢の世界は、殆ど言葉の無いスライドショーの様な世界である。何枚かのスライドに、自分の感覚だけが時に鋭敏に、時に弛緩してモザイクの夢の残滓を頭に残して居るのみである。

 物を記憶して、記憶のモザイク欠片を縄文・弥生土器の全体像として復元するには、多かれ少なかれ、<復元者のフィルター>を通して復元するしか方途は無い。専門家でも無い素人が、夢のメカニズムを我流で解き明かそうとする処に、面白さが在るのである。

 浅学非才の素人が、安易に心理学の分厚い専門書を読破して、○博士、★教授、☆博士、◆教授の説に依るとなどと、学問レールの延長線上で、論理の整合性を解き明かしても、解き明かせないのが人間の脳細胞のパノラマなのであろうから、そんな事を引き合いに出して文字を打つ心算は、全く無い処である。

 誰にも一切邪魔をされない個人脳の摩訶不思議な世界を、我流で夢反芻・分析して遊ぶのも、人間にだけ許された特技かも知れませんわね。ギャハハ~。

 何~!! ラジオに依ると、何を血迷ったのか・・・民主党幹事長・日教組のドン・輿石東先生は、三党党首会談での近い将来の解散合意は、自民、民主代表が、代表選でどちらかでも交代すれば、<合意は御破産>との事である。元々が小学校の先生上がりだから、算盤授業の玉弾きで、口癖が、『民主+自民+公明は?、はい御名算、御破算に願いましては~、次に~』ってな事なんでしょうかね。

 いやはや、鳩ポッポの沖縄基地問題発言、菅無理の原発問題発言・近い将来辞任発言と云い、代表者が替わろうと<詐欺フェストの政党>の態は、一向に反省の色すら皆無と云うのが、その不変の体質なんでしょうね。

 驚きモモの木、屁の河童で、こんな輩は政治家以前の『人間失格の言』で在りまするわね。こんな権力亡者の老猿が抜けシャーシャーと三党党首合意の信義に、その場で真っ赤な裏書き証書を出している様では、学校教育など事無かれ主義の隠蔽・無反省の組織畜生の巣窟に成り下がるのみであろう。いやはや、言語道断以前の出鱈目コーナーの線香花火の沙汰である。むべ為るかな・・・校内苛め垂れ流しに、スカート内盗撮、淫行事件が後を絶たない訳である。

 糞っ垂れ~であるから、特大の屁でもかまして遣ろうと、力んでは見たが、屁も出ませんわね。無理して力んでパンツを汚して仕舞っては、末代までの恥である。

     嗚呼、折角の吾が夢メカニズム考の文作が、最後で台無しである。

『ありゃ、糞以下の認知症・へタレ爺っさでヤンすがね。そうじゃ無えかい。皆~!!』

 スイマセン・・・俺ぁ、八つ当たりする場所が無くて、お見苦しい限りで御座りまする。皆々様に於かれましては、まだまだ続く残暑地獄で在りますれば、短気など起こさずに、水分・塩分を確り体内補給為されまして、残暑を乗り切って下されや。

 ふぅ~、暑い。ほんじゃ、失礼をば致しまして、アッシは、裸ん棒に為りまする。

心何処ーショート 逃げたら、男が廃る。 
                逃げたら、男が廃る。(8/17/11)
 いや~、日頃の行いが良いのであろう。<吾が夢史に残る佳作>であった。中年女性の花とも言えるK.Tさんとお手合わせしてしまったのであるからして、御馳走様で御座いましたの感である。最初、彼女は町医者の女医さんのお姿である。

<おやまぁ、これは美人さんである。>と内心ドギマジして、私は殊勝な顔をして彼女の診察を受けて居るシーンである。美人・美形さんには、兎角、白が似合う。誰かに似ていると思いつつ、質問に「はい。はい。」の素直な患者をしている。←私の素地の品行方正さが、良く出ている。

 次のシーンは、体育館か国民宿舎の様な大部屋である。震災か洪水かで、集団避難して来ている住民の中に、私も居るのである。如何したのだろうと、辺りを見渡すと、女医さんが一人一人を診察して居るではないか・・・私は別段、怪我をしている訳でも無く、普段と同じ体調である。困った時はお互い様であるから、人間のエチケットとして健常者はお手伝いをするのが、『筋』と云う物である。女医さんの助手役をする事にする。

 口数は少ないが、患者の話を聞きながら落ち着いた知的な目が、良く動く。患部、症状に目を注いで、耳で相手の話を聞いて、患者の自覚症状と患部の程度を確認して居るプロの仕事運びは、そつ無く真にスムーズである。私の感性からすると、相当なお人らしい。二、三日泊って、医療に当たるとの事である。←美人美形さんの助手が出来る。ウッシッシ~である。

 夜に為って、風呂に入って居ると、引き戸が開いて女医さんが入って来た。別段表情を変える訳でも無く、見事な迄の全裸姿で湯船に浸かって来る。白いほっそりとした綺麗な裸身である。湯船から上がると、手招きをして背中を流してくれるではないか。背中が終われば、前を洗ってくれる。←ボランティア助手を労ってくれる優しいお心遣いの様である。

 私も、お返しであるから、女医さんの背中を洗い、前も洗う。運動でもして居るのだろうか、中年女の脂肪弛みも無い均整のとれた女体である。黒いデルタの陰毛も、さして欲情の導火線にも為らない。こんな男と女の入浴シーンは、夫婦の日常の様な感じでもある。

 奇妙な物で、一緒に風呂に入り布団の中に入れば、男と女のする事は、ごく当たり前の事をするだけである。愛と行為の不可分性などと云う古典的な倫理観を振り翳すほどの青さは、場合に依っては不必要な場合もあるのである。←不可分、可分の問いは、ケース・バイ・ケースが良い時も有る。

 若い頃、週刊誌の連載小説は官能小説なんて物が、週刊誌の売りに為って居たのだが、私は官能小説化では無いから、官能の花芯に埋没する感性は持ち合わせて居ない。普通にして、普通に終わる。それでも、美人美形さん達は、様に為るのであるから、何枚もの好表情絵が脳裏にパシャ、パシャと撮られて行く。男の目は、相手の表情、裸身を追い、恥部の形にも観賞が行くと云う物である。

 流れに乗って、当たり前の事をして、当たり前の観賞をさせて頂くのが、自然の流れと云う物である。此処には一切、為にするとか、デフォルメなど存在しない男女の日常部分があるだけである。私は、そんな有り触れたシーンの中の美人美形さん達の存在が、心が落ち着いて好きなのである。

 男女の仲、たかがSex、されどSex。趣くままに、肌を合わせる男と女。

 とは云う物の、超現実の世界での運動量が激しかったのだろうか・・・夢疲れの目覚めであった。現実の行為同様に、果てた疲労感の様な物が心身に残って居て、朝の始動開始には時間を要した処である。

    朝の賄いに取り掛って居ると、ヤクルトママさんのコールである。

「今日は、居ません。留守ですよ~。」
「は~い。聞こえてますよ。ゆっくりで好いですよ~。」

「ちゃんと、真面目にお盆遣って来たかい?」
「実家に帰って、天麩羅揚げて墓参りして、ご先祖様に感謝して来ましたよ。」

「そりゃ良かった。娘に母に、女房にと、主婦のお盆休みは、朝、昼、晩のママさん業に加えて、ミッドナイトのお勤めと疲れるずらい。」
「ミッドナイトのお勤めってなんですか。そんな体力有りませ~ん。」

 へへへ、俺ぁ、夢のお勤めだけでも、腰が抜けちゃったぜや。まぁ、これは敢えて口には出さなかったのであるが、家庭生活を振り返れば、主婦の盆休みは仕事が満載なのであるから、ほっそりして仕舞うのは真面目に主婦業を務めている証拠なのであろう。これまた、小さい子持ちの主婦の日常が窺い知れて、好い図の一枚なのである。

  ★ママさん、好い線行ってまするわね。女は、こうで無くちゃ行けません。

 娑婆も始動開始である。さてさて、本日は忙しいぞよ。郵便局、米屋と回って、蒸発著しい水槽に川の水汲み、全部屋掃除、布団干し、洗濯と男仕事の段取りと馬力を発揮しなければ為らないのである。

    逃げたら、男が廃るのである。嗚呼、嫌だ嫌だ~。開始、開始~。

 風呂で流した汗も、忽ちに汗、汗、汗のオンパレードである。昼飯抜きの三時半を過ぎて、漸くの定位置の運びである。ポットの氷水を立て続けに飲んで、扇風機冷やしである。

 やれやれ、夢の佳作に疲れ、賄い夫に疲れて、褒美はキリギリスとセミの声である。

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