心何処ーショート 嗚呼、タワケ犬。 
               嗚呼、タワケ犬 (11/25/09)
 さてさて、丁度時間が浮いてしまったから、散歩に出掛けるとするか。曇天の風の無い外である。本日はコースを変えて、学園一帯からの散歩コースである。

 下校時とぶつかって、中学生達が次々と校門から出て来る。中学生達の中のロートル・クマ男一人であるが、中学生達の下校お喋りを聞くのも一興であろう。付かず離れずで、歩調を合わせる。当世は、男女共にお喋り上手であるから、その中に身を置いていると、此方の方も何か若返って来る気分である。勿論、お喋りの内容が、つぶさに聞こえて来る訳ではない。彼等の雰囲気さえ頂ければ、ロートル・クマ男は好い気分なのである。

 お付き合いついでであるから、其の儘、今度はコースを母校の中学校方面に進む。中学と通りの間には、田んぼ・畑・川がゴロリと横たわっている。中学校近辺の住宅地を直進して、フェンスを乗り越えて、田んぼの畦道に降りる制服スカートの女子中学生達の姿が見える。

『そう来たか、へへへ。』の眺めである。何時の時代にも、『近道狙い』には男女の差は無く、悪戯と効率は、人の性らしい。私も中学生に倣って、畦道を通って橋に直進する。リンゴ畑の収穫に、三人のオヤジ達が脚立作業をしている。囲いも何も無い、ポツリと残された感じの小さなリンゴ畑である。収穫期を逃してしまっては、通りすがりの中学生達のオヤツにされてしまうのであるから、収穫期は真面目に働かなければ為らないのである。
ぶどう畑は、昔から有刺鉄線が張られているのだが、殊、リンゴ畑には無いのであるから、面白いものである。中学生達に合わせて、橋を渡って浅間温泉を回って帰る事にする。

 男子中学生が二人、分かれの細道の角で、教科の有用性についてボヤキを入れている。何々・・・フムフム・・・彼等の有用教科に、私の好きな世界史が入っていないでは無いか。けしからん。
「駄目だよ。世界史を遣って置かないと、半人前の大人に為っちゃうぞ。全ての道は、丸暗記から始まる。丸暗記の引き出しに、助けられる知識の泉だわさ。女鳥羽中学坊主、頑張れっちゃ。」
 からかいを一つ入れて遣ると、変なオジサンの割り込みにも可愛い顔をして笑って、<コンニチハ>とピョッコリ頭を下げて挨拶をしてくれた。これまた、にゃははである。

 温泉街を一回りして、野球場界隈を歩いていると、座敷犬の散歩をさせて居るおバァちゃんと出会う。リード線の外された小型座敷犬は、井の中のガマ蛙の様な不遜な面付きで、チョコマカ・チョコマカとメタボの短躯で走り寄って来た。そして、私を見るとクンクンと鼻を私のズボンに擦り付けると、やおら前足を上げて交尾の姿勢を採ったと思うと、コリコリした粗チンを擦り付けて来た。それを見て、おバァちゃん恐縮して曰く。

「これこれ、駄目だよ。知らない人に、そんな事をしちゃ。お止め!!」
「好いよ好いよ。俺も、オスの端くれだわさ。チョンガーの哀しい生理は、好く分かるわね。何か、昔からオス犬と俺は、相性が好いみたいだよ。」
「すいませんね。ズボンを汚されるから、気を付けてね。ゴメンね。この子ったら、喜んでるよ。オホホ、全く・・・」
「ハハハ、子細承知。」

 オホホと来たか・・・女もおバァちゃんの歳に為ると、枯れて来て立派なものである。男・オスの生理に深いご理解をお持ちの様子である。悶々たる座敷犬の生理を鑑みて、此処は笑うしかあるまい。 

 面白いおバァさんであるから、話し掛けられるままに暫しお相手申す。その間中、馬鹿犬は変な声と猪突猛進の目付きで、私のズボンの脛にコリコリしたイキリ立った『小物』をコツコツと突いて来るのである。
 私は男であるから、老犬の中指程の『子作り棒の突き』を受けて、何やらこそばゆい感じである。これが俗に云う女族の快感の扉なのだろうか??などと、私の脛のズボンを前足に抱え込んで、盛んにワンパターンの直進腰運動に血道を上げている座敷犬の面をトクと見下ろすと、老犬は自分を見失った完全なる発情顔である。これでは、男女の捲るめく性愛の風情も屁ったくれもない。斯く為る上は喝を入れて、理性の引導を渡して遣らずば為るまい。

「こりぁ、馬鹿犬。そんな粗チンとワンパターンの突きじぁ、メス犬を退治出来んぞ。鍛えて、出直して来いや。タワケ!! おバァちゃん、転ばない様にね。風邪引くなよ。バイバイ。」

 嗚呼、こうまで女日照りが続くと、こんなタワケ犬のお相手も申しつかるのであるから、私の人生は、この先、真っ暗闇に引き込まれてしまうのだろうか・・・ 全く以って、弱ったものである。座敷犬に、近寄るべからずの段であった。


                    タワケ犬

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【2009/11/26 09:10 】
呆け一席 | コメント(0) | トラックバック(0)
心何処ーショート 形無しNHK殿
                形無しNHK殿(11/25/09)
 昨夜のNHKの『クローズアップ現代』には、呆れ果ててしまった。真面目に見て居る数少ない番組である。中国要人とのインタビューの形式をとっているかの様に映して居るのだが、あれでは『組織グルミの捏造』でしかあるまい。インタビューの意義を十二分に知り尽くしているジャーナリストの風上にも置けない『権威・権力への迎合・猿芝居』でしかあるまい。

 日本語の質問に、中国語の返答が即座に通訳されてインタビューの形・テンポで放映されているのである。然しながら不思議な事に、喋る方も、聞く方も、耳にはイヤホンを付けて居ない。勿論、生身の通訳の姿も見えない。この様を、何と見るべしや・・・

 中国要人は、日本語を日本人以上に堪能なのだろうか? 
 そしてインタビューアーは、彼女の得意とする英語同様に、中国語にも秀でているのだろうか?
 
     真に以って、視聴者を愚弄する『飛んでも鉢巻き』の沙汰である。
 言葉を理解する者なら、表情・目の配りは、その人の内心を映し出して、<目は口ほどに物を言う>筈なのである。言葉と目の動き・表情で、内心に近付く・窺がう事で言葉の綾・裏、人間性を垣間見る・垣間見せるのが、インタビューの存在意義なのである。そして、その『筈』であろう。
 インタビューする者とインタビューされる者・二人に、その表情の変化が無いと云う処が、『今回の最大の売り』であったのだろうか??? 武士道の鋭利な観点からすれば、こんな放映は、国辱以外の何物でもあるまい。日中間に存在する諸問題・違和感に関して、生身の人間が語るインタビューの価値すら臭わない。あれでは、一方的な中国宣伝でしかあるまい。NHKに報道の良心が存在するのであれば、当然に『お蔵入り』にすべき処であろう。

 然しながら、冷静に下衆の勘ぐりを働かせば、これが正しく中国の姿であり、政治に気兼ねをせざるを得ないNHKの姿なのであろう・・・冷水を浴びせられた感が否めない処であった。対中国へのジャーナリズムの姿勢、対日に関する中国の態度・姿勢が、まざまざと現れて居た『用意万端』振りの放送であった。一つの質問に就いて、中国要人の淀みない速射砲の様な多弁振りは、朗々と捲し立てられる。まるで一字一句たりとも粗相のない様に読む茶坊主の仕草であった。

 一般に、共産党一党独裁の様は、その根底に『無謬性有り』と譬えられるのであるからして、<用意万端、全てつつが無く、堂々と大国振りを発露させる大人の様>に投入されたリハーサル風景に思いを馳せると、ウンザリであった。
 そして、此処が一番肝心な処であるのが、何よりも『心に響かなかった構成』であった。作り手・流し手の意図・思惑、諸般の事情で一つの作品が作られるのは、致し方の無い処であろうが、作品は公開されてしまえば兎角一人歩きをするものであろう。

 これは、俗世間が言う処の<下手を打った>と云うしかあるまい。一方的多弁の隣国に、油断は禁物でありまするぞえ。くわばらくわばら・・・

 さてさて、こんな事を打っていると、中国工作員様の目が光るかも知れぬ・・・親孝行半ばで、ホーリンコー並みの取り扱いを受けて、電流棒で拷問を受けては妄想生活に終始符を打たされてしまう。賄い夫生活に戻るべしである。朝食後のお茶を母と飲んで居ると、玄関に人の声がする。

「畑を整理して来たんだけど、こんな小さな半端大根だけど、貰ってくれるなら頭を落として、持って来るよ。」
「好い処じゃないせ。頂ける物なら、何でも貰っちゃうんね。」
 斜向かいさんの置いて行かれた大根の袋とバケツ、タワシを持って大根洗いをする。庭の台に並べて、物はついでであるから、車で漬け物用の大根を買いに行く。

 途中、郵便局で支払いを済ませて来る。相想の好いオバチャン社員が、記念硬貨の500円玉をお釣りの中に入れて下さった。レジで先輩にそんな事を話すと、生まれは何年と訊かれて、昭和23年製の昔懐かしい穴無し5円玉を二枚入れて下さった。

      車から降ろして庭に運んでいると、母が廊下に出て来た。
「立っている親を使って好いかな? 悪いけど、台所から包丁を持って来てよ。」
母は好い女である。ニコニコして5本一束に括ってある大根のヒモを解き始めている。私は、大根の葉の部分と尻尾を落として、庭の台に並べて行く。みやしげ大根25本と硬大根30本を並べると、庭の台は、満席と為ってしまった。土付きネギの束を持って、スコップでガッポリ穴を掘って植えて来ると、母は廊下でほぼ完成した柿の皮の中から、紅葉・百日紅の葉を取り除いている。

 初冬の中に在って、今年も干し柿から大根干しの時期が巡って来たのである。大根がシナシナに成るまで、霜が当たらぬ様に朝夕の賄い夫の仕事が加わるのである。天気予報を頭に入れて、指図をするのが母の仕事である。真面目で几帳面な性格の母の姿は、泣きたくなるほどに小さく成ってしまったが、その分、倅には頬擦りがしたく為る程に可愛く見えるものである。婆さん、アリガトさんよ。

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【2009/11/25 15:00 】
下衆の雑感 | コメント(4) | トラックバック(0)
心何処ーショート 今年も、温泉銭湯の季節
              今年も、温泉銭湯の季節(11/24/09)
 母は体調芳しからずで、食後は再び布団の中に入っている。朝の内の太陽は束の間に、灰色雲の中に入ってしまった。家に居ても仕方が無いから、温泉銭湯に浸かりに行く。斜向かいさんの細い路地を通って、通りに出ようとした途端、

『ヒイー、ギァ〜。』の黄色い悲鳴である。
『オットット・・・ゴメンごめん。』倒れ掛る相手の自転車のハンドルを<むんず>と支えて、引き攣った女の顔を間近に見る。

 色の浅黒さと顔立ちは、間違い無くフィリピーナの顔付である。咄嗟の機転と太い腕力で、ストッパーが掛ったから、無傷の衝突で終わったにも拘わらず、怒り心頭の形相で私を睨み付けている。私は、大事に至らずホッと胸を撫で下ろし、何も無かった様にその場を後にした。

 然しながら、一難去った思いで自転車を漕いでいる内に、沸々と怒りが湧いて来た。

★あのアマッコ〜、とんでもない女である。手前のスピードの出し過ぎを棚に上げて、ヒィー、ギャ〜の馬鹿でかい声を出しやがって、間髪を置かず支えて遣った俺の顔を見て、敵を見る様な・・・あの面相は無かんべや。
★並みのロートルなら、二人とも抱き合って歩道にスッテンコロリだぜ。痛いの痛いの飛んで行け〜の騒ぎじゃ無かんべよ。
★サンキューの一言も言えんのかよ。男の顔を見たら痴漢と思え、悪いのは全部相手なんて、料簡がソモソモ気に喰わねぇや。
★引っ返して、アマッコの横っ面を引っ叩いて遣らっか!! 考えりゃ考えるほど、いけすけねぇフィリピーナの態度である。コンチクショー、身ぐるみ剥がして浅黒いヒップに平手打ち5連発でも、してやらにぁ気が収まらんぜよ。
★馬鹿たれが!!政治家の野郎共、何が、外国人労働者1000万移民政策じゃ、笑止千万の沙汰だわな。アホンダラ、伝統ある日本文化を何と心得て居やがる。
★俺ぁ、見え透いたお調子者・フィリピーナ女に、鼻を伸ばしている中高年男共の気が、知れねぇわさ。集られて、泣きを見ても、懲りねぇ連中だぜや。女に甘過ぎるんだよ。

 まあ、この位、悪態をほざけば、下衆の気分は収まる物である。ギャハハ!!
 
 さてさて、前方後方、左右確認の転ばぬ先の安全走行である。熱いオブチャに直行なりである。先客一人に、飛び込み老人一人の頃合い銭湯である。

 熱い湯船に浸かっていると、老人が入ろうとして足を引っ込めている。老人は飛び込みの客らしく、番台さんからタオルを借りていた。
「待ってましょ。水で薄めて上げますわ。」

     脱衣所からホースを持って来て、水道に繋げて遣る。

「スイマセンなぁ。旦那さん。」
「気にしないで好いですよ。折角、湯に浸かりに来たんだもの。好い温度でゆったり浸かるのが一番ですよ。石鹸無いでしょう。この石鹸使って下さいよ。」
「どうも、スイマセンなぁ。有難う御座います。」
「気にしちゃ行けませんわね。掛け流しの湯に浸かって、ふやけた垢を石鹸で流すのが、風呂の効用ですよ。銭湯は、伝統の庶民の文化ですからね。へへへ。ゆっくり遣って下さい。」

 風呂から上がって来ると、引き戸が開いてハイカラ御隠居さんが入って来た。
「やぁやぁ、お久し振り。元気だった。お袋さんも、お元気ですか?」
「あいあい、母・倅とも元気だったんね。寒く為ったから、また厄介に為りますよ。」
 
 久し振りであるから、脱衣所で胡坐を掻いて近況を交わす。90歳に為ったらNHKののど自慢に出場したいとの御隠居さんに、風呂仲間からはリクエスト曲が出ているそうな。御隠居さんは、師匠の岡晴夫の『憧れのハワイ航路』を歌う心算だが、『異国の丘』を歌ってくれとの声もあるらしく、お宅は何が好いと聞かれるから・・・ウラジオストク抑留の経験に因んで異国の丘も好いけれど、軍歌なら『暁に祈る』が好きであるから、私はそれをリクエストした次第である。私にとっては、軍歌の底に流れる庶民の心の響きが、戦争への哀しみを表現している様で、何故か心打たれる思いがするのである。

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【2009/11/24 21:22 】
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心何処ーショート To be,Not to be?
              To be,Not to be? (11/24/09)
 私は、日々の文作を一行43×36文字のA−4版で打っている。印刷の関係で、それらを続けて丁度ページの区切りの好い所で一つの分量として、マイドキュメントにメモリーしているのである。こんな風にしているから、各文作の字数の関係上では変数の10〜30頁の分量と為ってしまう。この処、好い区切りが出来ずに頁数が嵩むばかりである。近似値の意識は働く物の、帳尻が合わず苦笑いをしている次第である。それが100頁程に為ると保管上、一冊のファイルに綴じている。訪れる人の少ないロートル生活ではあるが、読みたいと言う人には、ファイルを貸し出している次第である。

 一週間程前に夢を見た。若い頃、好くテレビに出ていた女優さんである。多分、私と同世代・同年配の女優さんで、私は彼女の大柄な体躯と彫りの深い野生的な顔立ちに魅かれ、大いに鼻の下を伸ばして居たものである。顔は確り覚えているのであるが・・・一向に、彼女の名前が思い出せないのである。女好き・妄想癖だけが取り柄の下衆男にして見たら、妄想時間の訪れだけが、唯一のロートル日常の愉しみ故、これまた、困った事態なのである。

 非常に残念な事に、彼女は若い時期だけ芸能生活をしていたのであろうか・・・とんと、その後の姿はテレビには現れない。きっと、彼女は、幸福な家庭生活を送って居られるのであろうが・・・

 夢から覚めた当初は、誰なんだろうと、小首を傾げて彼是と夢の反芻をしていたのであるが・・・彼女の顔を、嫌にハッキリ覚えているのであるからして、これは夢のモザイク・想像美形では無く、現実に存在する女性なのであろうと『夢の出典を探索』しようとしているのである。兎に角、印象の強い顔立ちで、彼女の顔・表情を思い出す事が出来ると云う事は、実在の人物には相違ないのである。

 私には願ったり叶ったりの非常に際どい官能的な夢であったから、如何しても彼女の名前が知りたいのである。彼是一週間ほど、記憶の中を徘徊しているのであるが、何しろ寄る歳波の所為で、コンチクショーの体たらくなのである。それか、インスピレーションの旺盛さを連想させる様な、あの黒い瞳が逸早く、私の邪なる変態の気配を察知して、日本全土を覆い尽くす程の念力バリアを発しているのかも知れぬ。そう考える、闘争心に火が付く物の・・・その確信たるや、雲を掴む様なもどかしさの停滞振りなのである。

 斯様に人間の脳味噌とは、分からない事が有ると、安定と云う収まりが着かないから、往生際の悪い働き掛けを強いて来るものである。大昔には、自分でも驚くほどの記憶の冴えに感謝していたのであるが、真に以って不甲斐無しやの衰え振りである。

                  吾が心境詩

    愉しみの薄き吾が老後は、如何にして過ごすべしや???

         シェークスピアのハムレットでは無いが・・・

       To be,or not to be:that is the question.

      するべきか、するべきでないか・・・それが、問題である。

         思い出すべきか、思い出すべきではないか・・・
  
   愉しみ薄き吾が日々、如何にして過ごすべきや、それが問題である。


 ヨッシャ、ヨッシャ!! 頁の区切りに嵌ったなり。お天道さん、アリガトさんねぇ〜。
【2009/11/24 12:23 】
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心何処ーショート 日差し静かなり
                日差し静かなり(11/23/09)
 夜半から雨との予報であったが、雨は降らなかった様である。干し柿を取り込んでしまったから、貴重な乾燥時間を損をしてしまった。吊るし柿のカバーを外し、廊下の干し柿を庭の台に広げる。吊るし柿の方は、すっかり縮みあがっしまったが、待望の白い粉が吹き始めて来た。お天道さんアリガトさんでゴザンスヨ。

 朝食後は太陽の恩恵を浴びさせようと、鳥籠を廊下に置いて遣る。部屋で煙草を吸って居ると、正面フェンスにバルディナさんの御挨拶である。晴れ渡った好いお天気さんである。河川敷のベンチで、日向ぼっこの読書でもしようかと思い立つ。半纏のポケットに煙草を入れて、本棚を一舐めして『世界のことわざ辞典』をピックアップして、下駄を突っ掛けて外に出る。

 木製ベンチに胡坐を掻いて、頁を捲る。背中の綿入れ半纏から、ポカポカした暖房が伝わって来る。世界の諺は、面白いものである。諺は、人間の生活のエキスと云ったものであるから、表現者の違いによって、其々の味わいが見える。同じ事象に遭遇したとしても、人々の感じ方は其々に異なる。前から横から、後ろから・・・見て感じて考えて、人其々の言の葉表現である。眉間に皺を寄せて、フム・フムなどと読んでは為らない世界なのである。

 ほぅ、ほう、お主は、そう来たか・・・天晴れあっぱれ、流石、詩人様、イョ〜、長屋のクマさん、八っつあん、なっとく納得。

 ってな物で好いのである。古今東西・芸術家・識者・施政者のお偉いさん達だけが、後世立派なのではない。人の世の表現なんて代物は、生き物なのであるからして、人の心・気分にマッチすれば、これぞ立派な世界の諺と為って、後世に伝えられるのである。日当たりの葦の風音・川の瀬音に、青空の中の白雲・・・ 雀がチュチュんと鳴き、日差し浴びて、蝶がヒラヒラ舞う。本日、勤労感謝の日である。穏やかなる日和に、山野は色彩を放ち、遠くのお山には白衣が掛る。

 さてさて、ロートル・クマ男の脳味噌の風通しも出来た。慣れぬ読書はこの位にして、定位置小部屋で、熱いコーヒーでも飲むとしよう。

「おや、おばさん精が出るね。」
「うん、落ち葉だらけに為っちゃったから、掃除をしなければね。もう、疲れちゃったから、また今度にするんだ。嗚呼、腰が痛い。歳は取りたくないねぇ。」
「ハハハ、はい御苦労さまでした。さぁさぁ、部屋でゾウガメのコタツ亀をやりましょ。」
「何だい? そのコタツ亀ってのは・・・」
「日本の図鑑じゃ、コタツはゾウガメさんの甲羅だってさ。本当は、ゾウガメは、ガラパゴス諸島の主だって話だけどさ。海流に乗って遥々時間を掛けて、日本に漂着してたらしいよ。何時の時代か、俺ぁ学が無いから知らねぇけどさ。まあ、その子孫達が、冬の信州人だわね。へっへつへ。」
「アッハッハ。それで、私は、ヨロヨロのゾウガメって訳。笑わせてくれるじゃん。でも、本当だね。私はゾウガメだから、甲羅の中に潜り込むよ。コタツ亀とは・・・本当に、その通りだわ。やれやれ・・・」

 玄関を開けると、DVDの入った紙袋が置いてある。そうであったか、斜向かいさんが顔を出されたか・・・ 通りから斜向かいさん・Sちゃの部屋のガラス戸をノックして、吾が在室をお知らせして来る。

 さてさて、椅子に根が張る前に、貰い物の大根三本と生姜を始末して置くとするか。干し柿を一つ口に入れて、台所仕事をこなした後は、日記綴りの印刷でもして置くか・・・ 斜向かいさん先週持ち出し分は、吾が短編集であったから、今週はレギュラー分に移行した方が好かろう。何もしなくても、一日は音も無く過ぎ去って行くものである。
【2009/11/23 15:26 】
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