旅行編、ショート編。旅行編は、エロチィック・エッセイ。ショート編は、日常些事のショート・エッセイ。創作編は、短編小説。マイ・ギャラリーは、各編の自作挿絵の収録。

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心何処―ショート 是、分相応の日常為りや。
                 是、分相応の日常為りや。(5/7/14)
 娑婆では連休が終わって、日常が始まった。朝の通勤車がタイヤを鳴らして、自転車通学の高校生達が、抜けて行く。本日は、無風の上天気に為りそうである。焚火の草木灰を移植ごてに掬って、野菜達に掛けて遣る。

 三つ葉の浸しは、香りと歯応えが在って、大人の味である。摘めば、新しい瑞々しい葉が出て来る。健気な物である。そんな三つ葉を摘んで居ると、ゴミ出しに来た町会長さんのお声が掛る。

       町会長さんも、自家製三つ葉をそんな風にして食べているとの事である。

 昨日はNHKの特番で、復活した三陸鉄道を放映して居た。大震災、大津波から三年。三陸鉄道の壊滅映像は、被災当時の三陸鉄道社長の姿を映し出して居た。記憶に残る社長の姿で在った。三陸鉄道に賭ける地域の想いを背負っての社長以下全社員の姿には、感涙した物だった。

 今回の開通スペシャルを見て、想像でしか無かった地域の鉄道に対する熱い想いが紐解かれる様に、その想い80年、不採算線に依る80年もの陸の孤島、不採算に依り見捨てられ、日本最初の第三セクター路線などの歴史に触れた。その地域の想いに<辛い歴史在り>の観頻りで在った。ズゥ~と小田原で単身出稼ぎをしなければ為らなかった亭主、土地を守ってヤマセに水田に水の布団を掛け続けた女房は、悲願の鉄道敷設にヨイトマケに明け暮れした。

 その土地に生まれ宿命に泣き事を溢さず、ただただ先祖伝来の土地と家を守り続ける一生が自分の人生と、笑う77歳の女房殿は、亭主の耕運機掛けを百姓仕事は、旦那より私の方が上手と笑う。

 いやはや、年輪の奥に見える東北人の芯の強さに、涙が頬を伝うばかりであった。実際、実物の存在感に、歴史を重ね、小説を重ね、読了した国民の道徳を重ね観た次第である。

 四の五の言葉で語るよりも、実際の実物は、多くを一切語らずとも、その存在全てが、環境、歴史、人生、道徳の何たるかを象徴して見せて呉れる。自分の宿命を引き受けると云うのは、正にこう云う事なのだろう。日本人に生まれ、日本で暮らせる恩恵を感じられずには居れぬ次第でもある。

 こう云った土地に暮らす人の生活目線での放映は、NHK以外では作れ無い。蛇足では在るが、余りの偏向報道で全額支払いを拒否して来た次第では在ったが、NHK会長も変わって、本音を聞かせて呉れた次第でもあるから、そのご祝儀に全額支払いを復活した次第でもある。

 米所・新潟の米菓あれこれをしていたので、<婆ちゃん、オメコとコメコの違いは、何処なんだろうね。>とポツリ言って遣ると、大正女様は、一瞬、吾が耳を疑うかの表情をした後。何を言うと思ったら、四男坊は、相変わらずの戯けだの<無言にして軽蔑の眼>で見られて仕舞った。

 またまた、馬鹿にし遣がってからに。『耳持聞こえなく為って、頭の中もグチャグチャで、何を言われても分からない。』だって、全部聞こえて、オとコの区別以上の言葉意味も分かって居るじゃないの。ギャハハ~!!

 妖怪様は好さそうであるから、風呂に湯を張る。入浴後は米屋さんにペダルを扱ぐ。甘過ぎるコーヒーを頂戴して、よもやま話をしてお暇する。新築中の工事現場からは、親方にボロ糞に言われ、それに口応えをしている声がビンビンと聞こえて来る。傍目からだと、凄い親方、子分の<犬猿の仲関係>なのだが、言って見れば・・・これも、得難い好コンビの口かも知れぬ。取っ組み合いの喧嘩にも為らず、仕事が進んで行くのであるから、笑っちゃう次第である。

 個人スーパーに寄ると、<待って居ました>とばかりに、カボチャ、白カブ、フキを買わされて、店内の婆連に笑われて仕舞った。

「美味い本物のフキだよ。買わなきゃ損だよ。」に、<偽物のフキってぇのは、何処に在るんだろうね。>の婆さんとの酷い会話と為って仕舞った。ギャハハ!!

 帰って来て、カブを漬けたり、本物のフキを炊く。サッと茹でて、皮を剥いて、身欠きニシンに油揚げを加えて、炊き上げる。カットカボチャは、昼食として妖怪様にお出ししましょうかね。

 賄い夫業も、すっかり本職に為って、吾ながら一連の作業は無駄なくソツ無く、テキパキと進めて仕舞うのであるから、驚き桃の木、山椒の木である。ギャハハ~!!

 庭の睡蓮鉢のメダカに餌を振り撒けば、浮上して来るメダカ達である。吾が家の白カブは、モンシロチョウに大分、穴を開けられと仕舞ったが、長閑な物である。西向かいさんの桜の木の洞に営巣したシジューカラは、孵化して成長して居るのだろう。餌場として吾が家の庭に、シジューカラの姿が頻繁に在る。

 庭に居れば、赤い山ツツジの花に、春子の並アゲハなのであろう。形の小さな奴が、ヒラヒラと蜜を吸いに遣って来る。昨日は、山椒の木に、小振りの並アゲハが三匹、フワフワ飛んでいる姿が在った。山椒の葉に卵を産み付けて、今年も吾が家の山椒に幼虫が、モゴモゴ動き始めるのだろう。

 家にしても、色々な生き物たちの観察が出来て、ロートルとしては飽きない次第でもある。人間の女には不自由この上ない日常では在るが、へへへ、これを称して<分相応の日常>と云うのであろうか。

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心何処ーショート 嗚呼、コンチクショーメ。
                 嗚呼、コンチクショーメ。(5/6/14)
 
       アジャジャ、文章が保存されて居ないでは無いか。こりぁ、参りましたがね。

 まぁ、しゃ~無い。本日は、文章再現のズクが無く為って仕舞ったから、メモで逃げるしかあるまい。

 朝の庭廻り時に、アザレアの定植位置が気に喰わず、植え替えようとすると大石が埋まって居て、大仕事と為って仕舞った。

 昨夜は面白い刑事物が在ったので、妖怪様は体力消耗で、早くは起きれまい。そんな妖怪様待ちの時間で、川原から川土運びをして仕舞った。

 昨日は、読書タイムに当てて仕舞ったので、体細胞が充電されて、朝食後は焚火をしながらの玄関回りの整理をして、すっかり道産子農耕馬をして仕舞った。

 読了して、余裕を噛まして居たのだが、夕食の洗い物、米研ぎをして、本日終了で四畳半定位置で煙草を吸って居ると、本日ブログを打って居なかった事に気が付いた。

 遺憾いかん、<継続は、プライドを賭けた意志為り。>で、パッパと仕上げたのだが、文章が保存されて居なかった。

    保存証拠が無いから、敢えて言う次第では在るが、真に良い内容で在ったのだが・・・

    <釣り落とした魚は、皆、大魚。消滅した言の葉は、皆、良文。>の証拠無しでもある。

                   ニャロ~メ。アア、グジャシー!!

心何処ーショート 吾身は、覚えるより慣れろの実際知?
             我が身は、覚えるより慣れろの実際知?(5/5/14)
 五月五日は子供の日。朝は景気の好い花火の音が上がっていたが、生憎のお天気さんで沈下してしまった。いやはや、陽気の不意打ちで雨に風の騒ぎで在る。昨日は、バイク騒音に、コンニャローメであったのだが。

              まぁ、儘為らぬのが、世の中と云う物である。

 自転車で買い物に行こうと思っていたのだが、大分の雨に、毎日が日曜日のロートル生活であるから、早々に止めとした。お天気が悪いと、途端に寒くなるのが、五月初旬の気象と云う物である。とほほ、困った物である。

 本日は日課の外に出るのが、憚れる外気である。そんな次第で、二畳小部屋でポータブルヒーターを点けての読書タイムを余儀無くされて居る。

 漸く540頁まで進んで、後130頁にまで漕ぎ着けた次第である。『国民の道徳』と題名は打つ物の、滔々と云うか、延々と云うか・・・そこに書かれて居る事は、経済を縦糸or支柱に、人間の本源たる精神の拠り処なる物を解き明かし、言及する哲学史の解説本で在ろうかと思われる。

 私の様な体育会系のスカンポ脳味噌の持ち主では、完全な消化不良本なのを『百も承知のチョイス』だったのは、間違い無い次第でも在った。とほほ・・・。

 大先生が出来の悪い生徒に滔々と或いは延々と書き進められて下さった高邁にして雲を掴む様なインテリ領域に、辟易として、何度も断念の囁きが続いた。まぁ、それでも、この二日間の読書タイムは、浅学非才の脳細胞にも、<門前の小僧、習わぬ経を読む>の例え同様に、書かれて在るのは正真正銘の日本語で在るからして、<覚えるよりも、慣れろ>の『実際知』の門前を経て、大先生の熱弁が漸くにして聞こえ始めて来た次第でも在る。

 私は生まれ変わって努力をして見た処でも、絶対にインテリには為れないが、鋳型の中で<踊らされる大衆人>では無く、辛うじて『自己脳で行為する庶民』の末席に居るのだろうとの安堵感に、自画自賛を旨とする私はニヤニヤして居る次第なのでもある。

 まぁ、この本は平成12年の刊行であるから、TPP以前の時に書かれた物である。この本が、現在ならば先生のTPP批判は止まる処を知らず、現日本人に対する痛烈な罵声が炸裂して居る事だろう。

 断続する小雨に、軟肌の緑を風が吹き捲る。濡れた粗砂がひっそりとして、山ツツジの赤を浮き立たせて居る風情は、インテリ為らずとも庶民にも分かる日本的風情の一つでも在る。

 それは石を並べた島地に、半月状の広がりを浮かべた黄緑の若葉を帽子に、今を盛りのライトレッドの花を衣装に纏った『日の下の静かな佇まい』にも見える。雨に濡れた敷き砂は海でも在るし、縁側を仕切る石の並びと小砂利は一方の大陸にも思えるし、百日紅から続く野放しの濃い緑の群生は、別の大陸にも見える。

 山ツツジの横には歳老いた柊(ひいらぎ)が、枯れ枝に復活の小さな芽吹きを覗かせ、それに間隔を開けた楓は、目覚めた樹勢を密集の葉重ねのボリュームに表し、風に戦いで居る。赤いツツジ島の背後には消え入る様な古ブドウの皺枯れた細枝から、支柱を与えられた再生の芽が、幼葉を伸ばし始めている。

 先生が目指す敗戦後のアメリカニズムに<ええじゃないか踊り>に狂奔した日本人の衰退し切った道徳の萌芽が、復活の芽吹きをするのか、私が待ち焦がれていた日本の精神の揺り戻し期に突入するのか。

 これはインテリの慧眼には到底及び付かない精神の覚束無さでは在るが、小さいながらも庭と云う小スペースに、市井の庶民としての想念の一端を形にする事に依って、願わくば私、公を考え、国の国と国の国際、国内の治世、歴史、文明、文化との係り合いを、マスコミに毒されない程度で、自問自答して行きたいとの密やか為る空間と考えている次第である。

    国民の歴史、国民の道徳、国民の教育の長編は、三部作の構成を執っているとの由。

 歴史上、英国と日本は、面白い類似性を持つと云う。吾が町内の民宿旅館からの白人観光客がこの近辺を散策して居る姿を見る。民宿の半分の宿泊客が、英国からの旅行者であるとの由。
 紳士道の英国も武士道の日本も、伝統の国柄である。そんな彼らが、四畳半横の生活道に、極普通に入り込んで来る様は、私にとっては好い構図に見える。

 異国の日常に興味を持つ精神構造は、含蓄に富む次第でもある。伝統と云う自国の文化に、相対的な自信が無ければ、目立たぬ物への好奇心、親和感など生まれ様も無かろう。国民性、生活態度は、歴史と云う長い時間軸の中から、自然と醸成されて来る物なのだろうから、彼等の好奇心と、何故か分からぬ親和感の根源を探ろうとすれば、それは取りも直さず自国と他国の歴史との比較と自問自答の時間を持つと云う事なのだろう。力みの無い散策と云う物は、視覚と思考が相俟って歩を繰り出す散歩思考を云うのだろう。

 斯様に庶民は、歴史を刻んだ国柄を受け継ぐDNAの中で、それを五感として感じ取り、インテリ層はインテリとして、思想、思考、制度、哲学の歴史散策をして、学問的に深究して行く。
 こと左様に、庶民は庶民として感じ取り、インテリはインテリとして解説と真理を説き、庶民を導き照らす。従って、日本の庶民たる者としては、年に何度か、何年に一度かは、腑抜けた精神の禊として、高尚な活字世界の門を潜らなければ為らないのかも知れぬ。

   ソソ、サクラテスか、プラトンか、皆、悩んで大きくなった。で在りまする。へへへ。

 還暦半ばを通り越して、知恵熱で風邪でも引いたら、本業の賄い夫が出来なくなって終う。我が身は妖怪様を筆頭に、金華鳥9羽、金魚4匹、メダカ20匹、野菜はホウレンソウ、チンゲンサイ、シロカブ、シュンギク、ミツバ、ネギ、キュウリ、ナス、トマトと続き、野イチゴ、庭の花、木と、それなりの共同体を構築してる次第でも在る。

 遺憾いかん・・・道産子農耕馬の本分を確り保守すべく、スキンヘッドの消化不良熱を冷まして参りましょうかね。イッヒッヒ~!!


心何処ーショート 小部屋にて、
           小部屋にて、今を盛りの山ツツジを愛でる為り。(5/4/14)
 読書効果と云うのか、好い夢を見た。そんな次第で、朝の一服をする。夢効果か・・・庭の仕上げを遣って見る事にする。
 粗方、川原の利用出来る土・砂・小砂利を持って来て仕舞って居るから、後は役に立ちそうも無いとして、増水後の堆積を見てから持って来ようと考えていたのだが、篩を掛ければ粗砂が取れる。

 踏み石部分に粗砂を敷けば、縁の下から庭に掛けてが、石庭の風情に仕上がる次第である。是非とも遣って見たい<アットホーム的雰囲気作り>である。二畳小部屋からの眺めは、今を盛りの山ツツジの赤が小山の様に陽に映えて、石囲みと好いマッチングを呈して居る。縁側下のバラスとの通路が、黒い土の中の踏み石続きで在るから、風情が中断されてしまって居る次第である。

 此処に粗目の砂を敷けば、庭の半分が石庭の風情で繋がるのである。物は試しである。バケツで運んで来て、篩掛けをして見る。黒土が隠れて、一体感が出て来た。篩に掛けられたバラスは、駐車スペースの四畳半の前庭の横に開ける。これなら見栄えも好いし、車に乗る時の<雨泥濘の回避>にも為る。

 四季は、呆気無くも移ろい行く物である。それを切り取って、風情を凝らすのが、人の手で在る。日本人の生活には、里山が在り、里海が在る。里と云う人間界に接する山、海に手が加わって、自然が自然らしく、人間が人間らしく相互交歓して来たのが、日本人の自然観、生活観で在った。

 今を盛りの山ツツジの様を愛でるには、此処は四の五の言わずに、道産子農耕馬を全うするのが、吾が仕事で在ろう。アガタ・リョウは男で御座る。とほほ。

 遣り始めたら、途中では止めれない短絡的性格である。朝賄いそっちのけで、道産子農耕馬モードに転換して仕舞った。妖怪様は、<倅が仕事をして居るなら、私も>の思いからか、ヨロヨロと炬燵の片付けを始め出した。

  へへ、アリガトざんす。飯は後回し。切りの好い処まで、遣らさせて貰いまするがね。

 2の4の6、8杯は、運ばなければ為るまい。こりぁ、大事である。前半で水が入ったのでは、後が嫌に為って終う。5杯を運んで、休憩方々、飯とする。

 黙々と食べて片付けて、飯後はTシャツ一枚に為って、完成をさせる。丁寧に掃き清めて、想像以上の出来栄えに、自画自賛の一服の友に、妖怪様にお茶を所望して、出来栄えを愛でる。

 おやおや、妖怪様は『今度は、寝具干し』のヨロヨロりである。へへ、触発し合うのが人間同士の心意気と云う物であろう。頑張り為され。俺ぁ、婆さんの倅ですがね。

 大分、草臥れてしまったから、昼はスーパーで出来合い物を買って来て済ませれば良い。煙草も残り少ない次第であるから、買って来ると致そう。

 メダカに餌を振り撒いて、人間とはつくづくと<実際知の生活>を送らないと、西部先生の言う通り、碌でも無い人間に成り下がって終うのだろう。そう云えば、テレビコマーシャルに笹川良一先生の『一日一善』なんて物が在った。ギャハハ~!!

何時まで干すのかと尋ねると、3時半までと言う。然すれば、汚れ物を洗濯して、シャワーを浴びて、本日分ブログ日誌を打ち上げて、読書の続きをすると致そうか。

 石庭完成で、小畳小部屋でのPC打ちをしながら、洗濯干し、寝具の取り込みベットメーキングをして、マイタイムに移行する。

 何時の間にか、空は灰色曇天の様である。毎日の外仕事で、すっかり日焼けが進行して、今や完全にインド人の黒さである。作業中は身体はきついが、結果が立派に応えて呉れている。

 100%人力&自然物利用の原始的作業では在るが、考え方に依っては、これほど贅沢な日課は無かろう。自分で考え、工夫を凝らして、自画自賛の一服を味わい愛でる。人間の満足度の大方は、自力構成が齎す達成感と満足感に在るのでは無いだろうか。オッホン!!


 

心何処ーショート 世の中、色々と在る物だ。
                 世の中、色々と在る物だ。(5/3/14)
 韓国さんも、大変である。海に地下鉄と続けば、陸上、空と人災連鎖が行って仕舞うのだろうか。そんな金曜スタバトークの話題の締め括りとしては、『何故、船長がパンツ姿だったのか!!』が、真剣に問われ無ければ為らない<火病国の深層解決の道>と云う事であった。

 御免なさいね。好色ヤクザもどきのロートルコンビの世事話と為ると、中々、上品さのブレーキが掛らない顛末と為って仕舞うのである。へへへ。

 季節の変わった昨日は、夜散歩をして来る。その途中で道路に動きを見て、思わず飛びのいて仕舞った。アッジャ~、蛇の幼生であった。きっと川に生息するアオダイショーの孵化が始まったと言う事である。直ぐ様、産卵数12が頭に過って、目の半分以上が足元に向いて仕舞った次第である。散歩に蛇は、無粋極まる。コンニャローメ!!

 朝、トイレに居ると、外で覚えのある声である。義理硬い弟は、昨秋の排水枡取り付け工事のお礼に、西向かいのオバさんに旅行土産を持って来たのである。

「裏から、御免ね。」とトイレから、からかって遣ると。
「おっ、何処に居るだ。姿が見え無ぇぞ。婆さん、元気かい。」
 
 フィリピン旅行のお土産と、朝釣りに入って来て、ヤマメが2匹釣れたから置いて行くとの事である。

 フィリピンも不景気で、日本人観光客が少なく為って、自己中のケチケチコリアンで商売は上がったりの状況で、ホテル代等の値段が跳ね上がって居るそうな。親派のJも、苦しいとの事。新スポットは、期待外れだった由。馴染みの日本人客には、好い所では無く為って来て居る由。

 そんな話を聞くと、台湾、サイパン、韓国、中国、ベトナムと観光客のブームと云うのは、<精々が10~15年が盛り>なのかも知れ無い。息の長い世界の観光地に為るには、点の散在を如何に線と面にして行くかなのだろうが、面とするには確りとした揺るぎない『文化力』が無ければ、ブームが去れば閑古鳥が鳴いて仕舞うのだろう。

 文化の厚みと云っても、その厚みは過去と現在が共存する厚みが醸し出す全体の雰囲気なのであるから、そう簡単に<箱物、スポット、点を結ぶだけの提示>だけで造られる物では無い。大々にして、訪ね人の習性には、常宿の様な物が在って、その常宿を起点に四方に足を伸ばすと云う行動を執る物の様である。登山で云えばベースキャンプを張って、徐々に頂上を目指すと云うのが、文化の訪ね人の王道なのだろう。

 まぁ、旅行者の大半は、時の散在者であるから、ブームの観光地旅行をするだけで充分な興味の捌け口には為るだろうから、受け入れる方もドライに考えて、儲かる時に儲けて、次の算盤勘定を弾いた方が、リスク軽減に為ろう。

 どんな生業(なりわい)にしても、栄枯盛衰は人の世の倣いで、避けては通れない娑婆の掟でもある。我慢と工夫で生業を守るか、ブームに沈んで生業を手放すか。へへへ、傍観者とは、気楽な物である。

 弟の生業は、胸突き八町から脱したと思いきや、事務所の要役だったベテラン事務員さんの入院で、弟が仕事と事務でテンテコ舞いに陥っているとの事である。一難去って、一難に晒される。人生とは、つくづくと手厳しい物である。

 私としては、何も出来ないから、話を聞いて遣るしか出来ない次第でもある。弟は番から高先輩さんの機械の溶接をした後に、美味い物を食べに行くとの事で、約束の時間だからと帰って行った。

 本日、妖怪様の体調は悪いらしい。三時過ぎからは、お天気さんも下り坂で、お天道さんは姿を隠して、風が出て来た。漸く読書の方も半ばを過ぎて、先が見えて来た。

 読書に飽きると、庭に出て気分の保養をして、睡蓮鉢のメダカを見たり、雑草の芽を除去したりで、<文化・伝統の厚み>には到底及ばない次第では在るが、小市民の『体裁の定着』を励行している次第である。

 庭隅の雑草生い茂る中に、長年月埋もれて顧みられなかったブドウに今年は、再生を目指そうと思って居る。芽の蕾が開いて、支柱を宛がわれた葉は陽の光を受けて、輝いている。そんな姿を見ると、植物の旺盛なる生命力に感心すると同時に、何十年も捨て置いて居た<吾が物臭根性>を恥じ入るばかりでも在る。

 この処の高温で、水の蒸発量が甚だしい。ジョロを持って川に下りて、水汲みをして庭の睡蓮鉢、四畳半同居人の水槽に補給水として満たす。へへ、これで遣れば、水溢しが解消されるでは無いか。いやはや、気付くのが余りにも遅きに失して仕舞った。へへへ。

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